2019年01月13日

宮古馬の話は続く0113

宮古馬の話は続く0113

今日、朝イチで連絡があった。
宮古馬の話が一通り終わったところで、スマホを開くと、馬のニュースがあった。
いろんなニュースがあるものです。個人的には、私はスポーツも競馬も動物園も苦手。
ゴールにたどりついた馬がその場で死ぬなんて、目の前で見たら、多分、ショックで寝込みそう。

特別な動物愛護の心があるのではなく、人間と同じなので、マラソンとか見ていると苦しくなる。
知り合いが頑張って走っていたり、トライアスロンはなんとなくいいのだけど、そこに競争の要素や笑顔を作らねばならぬエンターティメントは、いろいろ考えてつらい、笑。

さて、去年の終わり頃から、宮古馬の話が出てきて、いろんな人から連絡があって、右往左往してました。

そして、一昨日前の夜にその最初の記事の編集者に会うことができました。わざわざ訪ねてきてくれました。

私が何を話したかというと、今回の宮古新報の件と一緒なのですが、表に出たことだけで判断しないでほしいということでした。もちろん、表に出たことも判断の材料ではあるけれど。それと、宮古馬は、宮古の歴史と文化において、どのような役割だったか、とか。わたしたちが「島を旅立つ君たちへ」でなぜ宮古馬を取り上げ、地図に馬場での石碑を記したか、などです。

いつも島を平穏に、と考えているわけではないです。宮古の話をすると、宮古を保護しよう!みたいな話になるのですが、私はそれは表面的だった場合、ある種迷惑だとも思うのです。

島には、いろんな歴史があって、いろんな人がいて、いろんな真理があって、わたしたちはある一部分でしか関われないのなら、他の部分に敬意を払うべきだということです。東京のものさしだけをあててはならない。

あの人が嫌いだから排除、というのは、都会ならできる。でも、地方、ましてや島はどうだろう。私はとてもむずかしいと思う。
ならば、その人たちと近づいて、真意を探って、その人たちといっしょに大きな目標を達成してほしい。小さな違いはあるかも知れないけれど、大きな違いはないと思う。人も馬もいっしょにハッピーな道があると思う。

そうしなければ、対立がヒートアップする。

さて、宮古馬といえば、思い出すのがサニツ浜カーニバル

素敵なBlogを書いてくれている女性がいました。
最近はこんな感じになっているのですね。
https://www.turbine.co.jp/miyakojima/miyakojima-blog/sanitsuhama-carnival

与那覇湾には干潮時に大きな干潟が現れます。そこを馬が走ったり、各集落出身の催しをする、というものです。馬を走らせるようになったのはいつ頃からかわかりませんが、あまたあるイベントの中でもかなり古いものだと思います。宮古まつりとおなじくらいかもしれません。

宮古島・池間島の北にあらわれる珊瑚礁群”八重干瀬・ヤエビシ”の時期でもあります。私は行ったことないですが。今は観光客イメージがついている。

物見遊山で出かける気にはならないので、きっと行くならもっと年をとって、誰かといっしょにかな、と思います。こういう時、つくづく自分はエンターティメントに興味がないなと思う。八重干瀬のサンゴ礁は生き物だと思うので、なんだか悪い気がするのですよね。実際のところはわからないので、とりあえずはさわらない。自然を観光にするには、その生体を知らなければ、壊してしまうような気がする。

旧暦3月3日の「ハマウリ」の行事の日と全県的には言われていて、私は「ハマオリ」という言葉の感じで聞いていました。水で清めるというので、ある種の祭祀行事でもあると思います。って、いうことは、女性は不浄だということかもしれません。ですが、実はそんな仏教的なイメージはなくて、豊穣な海からの贈り物を楽しむという側面が、宮古では大きい気がします。

この時期は、いわゆる「うりずん」の時期で、一番島が新しい風や太陽に包まれる時期。「新しい年」を感じさせる。私の大好きな時期のひとつでもあります。

私は子どものころ、よく父に連れて行ってもらいました。
母には、その前日くらいに、お弁当をもって、静かに海を眺めるというだけのピクニックを楽しみました。Blogの写真は、その時の写真です。

着ている服のかんじから、多分8歳くらいだと思います。場所はサッフィ近くだと思います。背景を見ているとわかると思うのですが、ゴツゴツしたサンゴ礁の岩肌が懐かしく、今では少ししか残っていません。

島の人が、島が変わってしまった、開発が多いと感じるのは、こうしたことが背景にあると思います。

サニツここで宮古馬なのですが、サニツは神事に近いのかも知れません。神が馬に乗ってやってくる、というのは、よく聞く話でもあります。ある人が言っていましたが、夢に神が馬にのって出てきて、お告げをくれたそうな。おめでたい感じだと、鹿児島にもお祭りがある。国指定の無形の民俗文化財で鈴懸馬踊り(すずかけうまおどり)が有名だと思う。歌い踊りのなかに、いろんな飾りをさせられた艶やかな馬がいる。多分、その人が言っていたイメージに近いと思う。

そして、宮古馬と宮古といえば、ある写真を思い出す。昭和のはじめ頃の皇太子(平成天皇)と宮古馬だ。乗馬のために、おとなしい宮古馬が選ばれ、乗った姿は写真に残っていて、宮古の家のあちこちで見ました。ネットでググってもその写真は出てきません。白馬だったのはよく覚えています。

右流間(うるま)、球盛(たまもり)、漲水(はりみず)という名前だったようです。平成天皇は、与那国馬の視察にも行っていますし、なんとなーく覚えているのかもしれません。

しかし、名前の付け方が、独特・・・・。でも、子どもの名前につけても悪くないな、と思います。古くて新しい。

どちらにしても、戦後、ソテツ地獄で食べつくされそうになった宮古馬のなかでは、破格に幸せな一生だったのではないかと思います。

ここは宮古馬をとりまく歴史や文化も大きく関係しているのだと思います。

こうして、馬と人間の関係を、こうしてひとつひとつを紐解くような勉強会やクラウドファンディングなどを企画していこうと思っています。乞うご期待。














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