2012年01月06日
離島芸人 ヨナさん
*写真が横にしかなりません、すいません。
突然ですが、わたくし、去年からマツコデラックスさんに魅了されています。
娘にも松子と名付けたいと言ったら全力で止められましたが。
それはたぶん、あのプリプリした肌が赤ちゃんっぽいから。
化粧も素晴らしい。メイクをするときは女装風の私なので
参考にしたいこと限りなしです。
さてさて、年末にDVDレコーダーを買いましたが、使いにくい!
一念発起して、昨日から番組録画を四苦八苦しながら録画できました。
マツコさん見たさに、怠け者の私でもできるのですね。
ちなみに録画した番組は「アウト×デラックス2」
今日、空いた時間で、チェックしよーと思ってたら。
あ〜〜〜〜〜〜、伊良部出身のお笑い芸人さんが出演しておりました。
なんてナイスタイミング。
その名もヨナさん。ほんとおもしろかったです。
絶対、頭おかしい(ほめ言葉)。
生意気だけど、かわいい。馬鹿すぎて。と、きっとマツコさんも思ったに違いない。
ネタも宮古毎日新聞でした、笑。
取り上げてほしいそうです。かけあってみようかな。
今年は、宮古出身の若手お笑い芸人が出てくる予感です。
あ〜、楽しい。
ちなみにいろいろググってみました。
http://www.genshijin.com/NewFiles/yona.html
ブログもありました!
http://gree.jp/yona/blog
離島芸人と、書いてありました。
これいいなぁ。
がんばれ〜。ジョリジョリ(これはヨナさんのネタ、毛深いってことですね、きっと)
2012年01月05日
今年は、読めば宮古!本から10年目。

あけましておめでとうございます。
のらりくらりブログを今日も読んでいただき、感謝です。
感謝の気を勝手にお送りします、はーっ!
皆々様にとって、良いことがたくさんありますように。
今年もよろしくお願いいたします。
ツイッターでも書きましたが、人の死期は、自らの誕生日のわずか前とか
当日とかが多いそうです。なんというか、体のサイクルですかね。
今年は無事に誕生日を迎えたので、もう一年安泰のようです。良かった。
毎年、柄にもなくおせちを作るので(家人の所望)
誕生日を迎える頃にはほどよいアルコールでほうけてしまいます。
妻業の8割はここで一年分を消化します。精神的には。
人に合わせることを学ぶというのは、結婚が最たるもののような気がします。
でもおせちって、ほんとあっという間になくなるので、悲しい。
今年こそは写真をとっておこう。。。と。
さてさて、この年になっても、お誕生日おめでとう!と言われると
結構うれしいもの。
たくさんの寿言をいただいて、今年は一年の予定(目標)を考えてみました。
楽しい一年にする。生活も仕事も。
子供と遊びたおす。
ヨガ再開。健康管理をする(やせる)。
引っ越しをする。
学ぶ。(主に歴史)
店を開くので、そこを楽しみの基地にする(また詳しく書きます)
社団法人 atalas network での活動を本格化。
最大の目標は、いや、予定は、
宮古本、第三弾「読めば宮古!リターンズ(仮)」を仕上げる
です。
皆様、突然のメールでよろしく!と言われたら、笑顔で原稿を書いてください、笑。
今年の年明けは、ここ数年にないくらいワクワクしています。
おばさんになるって、いいことだなぁ。
宮古では、中年以上のことはおばさんとは呼ばず、
みんな「ねぇさん」と呼ぶ。姉さんですね。
おばさん、というか、宮古の姉さんたちのように鷹揚になっている自分に
気づいて、宮古の人で良かったと思うのです。
でも、私は東京にも住んでいるので、
よくばりですが、今年はどちらにも根が張れるように思索を深めたいと
思うのです。
健康だけには留意して、今年も楽しく行きましょう!
たくさんのご加護が皆様の上に降り注ぎますように。
2011年12月29日
隙間の自分時間。
今時は、子どもの塾の送り迎えは必須なので、ボヤッとコーヒーを飲んでいます。
いや、うちが頼りないだけかとも思いますが。
小1の娘は初めての塾体験。きっとドキドキしているんだろう。
こっちまで落ち着かない。
私も初めて塾に行ったのは小学校低学年。
当時の宮古の塾はある意味、野放しで、
結構遠くの塾まで一人で歩いて通っていた。
勉強と言うよりは学校と違う異空間を満喫!という塾代がもったいない話でした。
宮古の人は教育熱心だ、と沖縄本島出身の友人も言っているくらい
宮古はたくさんの塾がありました。
70年代から80年代は花盛りだったような気がします。
今も一部の教育熱は高いと思う。
私が中学の頃通っていた塾は、10時半に帰途について、
その後、宿題を電話で答え合わせをするという恐るべし塾でした。
で、先生方がほとんど内地の若い男の人だったので、もうまるっきり異文化。
寝るのは必然的に夜中の1時頃。
そして夏休みは、朝の9時から夜の10時まで。お弁当、ふたつ。
でも、そこでも楽しすぎて、勉強に身が入らないこと限りなし、でございました。
スポーツも人間関係も苦手だった私は、図書館と塾が癒やしの場所だったような気がします。
ほとんどの塾生が県外などの進学校に進みました。
素質のある子が勉強をするとたいがいいいところに行けるのですね。
天才って、もともとの頭の質のような気がする、どうやったって追い越せない、
と達観いたしました。それなら地元で遊んでやる!という意気込みで、宮古高校へ。
高校に入ったら、勉強を一切せずも楽勝だったのは、その塾のおかげ。
勉強貯金を使い果たして、卒業する頃には完全にアホでしたが。
いや、何が書きたかったかっていうと、私は勉強自体が楽しくてしょうがありませんでした。
塾の先生がはじめての内地体験でした。まさに異文化。
そして勉強して、漢字が読めれば、本も読めるし、宮古以外の世界を
たくさん知ることができた。その楽しさは、知ることの楽しさが主でした。
だから成績は、ね(笑)。ってことで。
そして、何十年後には、こうして島のことをいっそう深く知りたくなるのです。
風土を知り、歴史を知り、人を知る。
方向性もへったくれもありませんが、自由研究をたずさえて
多くの人と宮古本を作りたいなと思うのです。来年こそ!
さぁ〜勉強するぞ〜。
2011年12月21日
久々に講演をきく
先日、東工大でレクチャーを聴いてきました。
http://www.cswc.jp/lecture/lecture.php?id=185
ロジャー・パルバース先生が44年間にわたって見てきた
日本という国についての分析でした。
まるで落語のようにオチがちょくちょくあって、楽しかった。
ほんとに、人の話を聞くって、なんと楽しいことだろう、と思う。
そして、面と向かってじゃなくてただの一聞き手になることで、
自分の中に何か熟成される気がします。
当たり前だけど、リアクトしなくていいし、ボーッと話に集中できる。
普段、何か人から話を伺うときは、どうしても失礼がないようにとか、
出来るだけ感じよくしようとかで(ある意味、姑息だけど)、頭がいっぱいになる時がある。
原始人なので、つい失礼なことを言ったりしてしまうので、
いつも自戒をこめて話を伺うようにしている。
で、それましたが、そのレクチャーで拝聴したことは
自分の興味がいっそう深くなった気がします。
nationality
citizenship
race
ethnicity
時代の流れにおけるこの4つの定義。
一瞬、どれも同じか?と思ったけど、違うんですよね、確かに。
そして、これからの日本人も様々なバックグラウンド、文化とともに
生きていかねばならないのだそうです。
改めて、多様性を認めることの大切さ、身にしみました。
語り尽くせませんが、民族性と生活がアジャストしない面白さを
生き生きと鮮やかに泳ぎ切っている感じがしました。
底辺に流れている自分の民族性。
それは異文化にいる人は感覚的に鋭く、皮膚感覚のようにわかるのでしょう。
先生は、2008年第18回宮沢賢治賞を受賞されているので、
話も自然にそこに流れていきました。これもまた興味深い話でした。
最後に質問を受け付けていたのですが、ある人が
「この震災のような自然災害などに賢治ははどう考えていたでしょうか?」
端的にいうと、そんな感じの質問をしていました。
先生は「あんまり興味がなかったのでは」というようなお答えでした。
それが、なんというか、その時代の人っぽいなと思ったのでした。
先生もその時代の人間の命の重さのような話をされていました。
東北の自然は厳しく、今に比べてはるかに多産多死だったようです。
いろいろ調べてみましたが、地域限定は探せませんでした。
日本だと、賢治が産まれてまもなくの明治32年から人口動態調査は始まりました。
その頃から昭和14年までは千人あたり100以上、即ち、生まれたこどもの
およそ10人に1人が1年以内に死亡。(死産は含まず)
現在は乳児死亡は250人に1人、新生児死亡は500人に1人の割合となっているそうです。
類にもれなく、賢治のまわりも多くの生と多くの死が
まわりを取り囲んでいたのでしょう。
うぅ、簡潔にまとめようと思いましたが駄目ですね。
まぁ、人の話はおもしろい!と久々に思った数時間でした。
そして、今、一番読みたい本は、ロジャー先生の「面白い日本の私」と
「柳田国男・南方熊楠往復書簡集」です。←備忘録
2011年12月14日
久しぶりなのにシリアス
写真は島らっきょうの油味噌。
私はおなかいっぱいになるだけで、至福です。
あ〜ぁ、世の中の争いや諍い、悲惨なことは、すべてなくなればいいのに、ね。
先日の田中防衛局長を更迭のニュースを見て、夜中にすごい長い文章を書いてしまいました。
でもアップできない。こういう話題は膝を交えないと無理ですね。
内容は号外で琉球新報から出ました。
田中防衛局長を更迭 不適切発言で処分
「これから犯す前に、犯しますよと言いますか」などと、
女性への乱暴に例える発言をした田中聡沖縄防衛局長(50)の更迭を発表した。
琉球新報
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-184633-storytopic-3.html
昨日、知り合いが琉球新報はアルジャジーラ並みと言っていて、
なんか的を射ていて笑ってしまいました。
日々の生活のなかで、否応なしに耳に入ってくるニュース。
まじめに考え始めると、体に悪そうです。
でも、ずっと考えてしまうんですよね、やめようと思えば思うほど。
そして、半月もたつと忘れ去られそうなニュース。
でも、個人の人生は大きく変わるんだろうな。
「知らないことは罪だ」とおっしゃったジャーナリストの方がいました。
その時は、なるほどな、と思いました。
でも、私はそこまで急進的に考えているわけではありません。
知らないことは罪だ、ではなく、
知らないことによって人を傷つけることもあるよ、かな。
そして「知る、考える素地」がないのは個人的な理由ばかりではないと思う。
そして、オフレコって死語ですね。
記者はオフレコと言いつつ、普段の言動からチェックしているはず。
その懇談会という飲み会に記者に女性がいれば、
下品な発言も控えていたのでは(希望的観測)、とか。
どっちにしても東京で報道される沖縄の政治的側面は
男の人が主に取り仕切っているということがこのニュースからわかります。
自分のいる世界では常識なことや言動が
はたから見たら異様に威圧的に写るという典型なのだったのかもしれません。
ニュースを聞いたときから、もぞもぞ考えて、
結論は当たり前の事実に気づいただけでした。
知ることは悪いことじゃない。
判断材料が増えるだけ。
下品に言うとわかりやすいこともあるが、しっぺ返しにあうこともある。
そして、人は立場によって生育歴によって考えによって、意見がちがう。
いやいや、羅生門的世界ですね。
世界平和のために島らっきょうのおにぎり配ろうかな。
2011年09月15日
魂が新鮮(あやしいタイトルですが)
写真は、久しぶりに行った東京タワーです。
夏休みの自由研究をするために近くのお寺まで行きました。
もちろん娘のですが、親の方がはまってしまいました。
東京タワーって案外おもしろくて、いろんなイベントをやってました。
ポケモンは興味なかったけれど、お江の展示はおもしろかったです。
寂れ加減が好みでした。
結構、おどろおどろしいアングルなので、おもわずアップ。
先日、久しぶりに宮古関係の取材に。
70歳で新人コンクールで賞をいただいた方の取材。
声がふくよかで、寝そうになりました。
取材では「夢は大きく、カーネギーホール!」って笑顔。
なんだか元気をわけていただきました。
その舞台に一緒に立った19歳のオカリナのプロ奏者がいらっしゃった。
舞台の端から出てきたときは、19歳、うわ〜若いなぁ、という印象だったが、
演奏が始まったら、もう妖艶でした。
70歳と19歳が仲良く並んだフィナーレは、本当に感動的だった。
どちらもフレッシュなこと、限りなし。
先日、自分の19歳の頃の話を人にしたのですが、
一言で言うと、馬鹿なティーンエイジャーだったなぁと思うのです。
親の言うことはかけらも聞かなかったし。
後悔はありませんが、迷惑をかけた周りの人たちのことを
思うと、胃が痛い。同時に恥ずかしさで鼻血が出そうです。
数ヶ月前も宮古高校から東大にストレートで入った男の子と話した。
18か19歳ですね。素直で、いい子だった。
若いってことは、ひとつの才能のようなものだなぁと思いました。
自分が年齢を日々感じているからかもしれないけど、
あの時期、特有のオーラというのでしょうか。
間違いや失敗が、その人の糧に必ずなる。
それは何歳でも一緒かもしれないけど。
心が新鮮、というか、魂が新鮮というか、
その生き証人みたいな人たちを見れて、本当に良かった。
心が洗われるって、こういうことかもしれないないなぁ。
よっしゃ、がんばるぞ!(どこに向かってかは定かではありませんが・・・)
2011年08月30日
最近のヒット。

上が「野崎邑 歴史と暮らし」
下が高校の歴史の本。
「野崎邑 歴史と暮らし」は「島の図書館に行こう!」で紹介されています。
http://miyakojimalibvo.ti-da.net/e2456966.html
このブログには他にも今の宮古文化にとって大事なことがたくさん書かれています。
島に住んでいない私でもこのブログを読めば、そのまわりがわかるというか。
ブログを書かれている池城さんは宮古島市中央図書館地域資料収集・アーカイブ計画策定委員会
の委員になられたようで、とってもうれしいです。
宮古島のアーカイブ整備については、ずっと前から危惧していました。
きっと彼女なら後生に残せるような良い方向で意見を言ってくれるものだと信じています。
なにかあったら、いつでも応援したい気持ちでいっぱいです。
足跡を保存することは、地域にとって大事なこと、大きな財産だと思うのです。
あぁ、話がそれました。
実はこの御本、久松五勇士の奥さんへのインタビューというのもおさめられていて
とても興味深く読みました。
地域、言葉、漁の方法、家事のこと、暮らしまわりが細かく描かれています。
結構実用的な情報が多くて、久松嫁になるなら読んでおきたいかも。
そしてもちろん久松出身の方には必読の書。
私事ですが、今、教科書会社の家庭科の映像を作っています。
昔取ったなんとかで、楽しくやっているのですが。
いわゆる暮らしまわりのお話を大学の先生から直接伺うことも多く、
風土が人の暮らしを作っていくさまを感慨深く聞き入っています。
風土は人なり、というか。
風土、言葉、暮らし。大好物のテーマです。
この本にはその風土を改めて感じさせることがたくさん書かれています。
シンプルな宮古の海の暮らしが描かれています。
私は亡くなった父が久松なので、その方言を懐かしく音読してしまいました。
でも、なかなかうまくできません。
こうして言葉の姿は変わっていくのでしょうね。
こういうときの寂しさが個人としての原動力であり、
島へエールを送り続けたいと思わせるものかもしれません。
島を離れていることへの罪悪感が多少あります。
宮古の友人も同じ事を言っていたので、故郷を出た人たちのダークサイドかも。
私自身、故郷のために何もできていないと思うと、心がひりつきます。
故郷に錦を飾るというほどアグレッシブでもなく、
老後は宮古島でというほど達観しているわけでもなく。
すいません。ただのミドルエイジクライシスかも。
さて、怒濤の私的なつぶやきですが、
最近、書く時間や集中力がなくて、ちょっとウロウロ考えたりしてました。
たとえば、お仕事だけでなく、いろいろなお話をいただきます。
が、しかし、ご期待に添えないことが多すぎて、自分にへこみます。
いろいろ考えた結果、ただ単に、どうもいろんな人の期待に応えたいと
無意識に思っているようです。
でも、やっぱり長生きしたいので、開き直ろうかなと思っている次第。
物理的にできないことにクヨクヨ考えてもしょうがないさいがよ、って。
スーパー優柔不断な私でも、追い詰められてやっとテーマが明確になってきました。
子どもの時、夢は「毎日本を読んで暮らす」だったので、
それを基本に生きていこうかと思ったのです。
ついでに「おいしいもの(刺身と新鮮な野菜)を毎日食べる」っていう夢もあったなぁ。
あれ、これ、今はやりの断捨離か。
いや、もうはやっていないし、本も読んでないけど。
でもただ今はシンプルに暮らしたいって事なんだなぁと思う。
こういう時は、宮古に心底帰りたくなるのでした、ちゃんちゃん。
この御本のなかの宮古だったら最高だけどな〜。
***********
ちなみに日本史の教科書は高校の時のもの。
なかなか興味深いです。。。。
2011年08月01日
夏休みに思うこと。

写真はパソコンのなかに入っていました。
私が撮ってないような気もする。
でも、きれいなので、お披露目させました。
どなたのかわかりませんが、ありがとうございます。
今日は夏休みと距離感のことなど。
全国的にそうかもしれないのだけど、夏休みは親が忙しい。
お友達との予定のセッティングやら塾やら学校のイベントやら習い事やら。
親が主導して、毎日のスケジュールを親子で確認しないと毎日がこなせない。
なにせ、親の私が都会の夏休みに慣れていないので四苦八苦。
要は、イベント慣れしていないってことか。
宮古まつりでおなかいっぱいだった私は本当に田舎の人なんだなぁと思う。
さて。
私も子どもの頃、こんなに忙しかったっけ。
いや、違う。毎日、家の周りで虫取りして、海行って、図書館に涼みに行って。
親はどこにもついてこなかった。
海以外は、安心して放置していた。そして、安心して放置されていた。
早寝早起き朝ご飯、と今は声高ですが、
私は「遅寝、早起き、朝ご飯はもちろん!」というわくわくな夏休みだった。
特に夜中まで本が読めるのがうれしかった。
毎日海に行けるし。
当時は毎日早起きして、ペンキ屋さんの屋上でラジオ体操。
帰りにヤクルトがもらえた。
それを目当てに一キロ近く弟たちと歩いた。
行き帰りに必ず目にするちっちゃな豆腐工場。
大豆が香っていた。
モクモウの木に覆われた採石加工場。
砂煙が立ち上っていた。
障害者施設の窓辺からユラユラ手を振ってくれたお兄さんたち。
行き帰り目にするさまざまな風景、出会う人。小さな旅だったかもしれない。
で、ヤクルトは本当に美味しかった。
うちの兄弟は、未だヤクルトが大好きです。
あのとき、手渡してくれた大人たちの笑顔は、私の心の底辺にある
他人への信頼とか絆とかの一部になっている。
手ぶらで島サバはいてテクテク。
そして、ラジオ体操仲間に会えることが楽しくてしょうがなかった。
こんな大人になっても、その時の空気感は覚えている。
体全体にあたる朝の風。原点に戻れるあの匂い。みんなの笑顔。
いくらネットで島が近くなったとはいえども、実際、肌で感じるのは違う。
五感の一部しか使っていない気がする。
何もないよりはましだけど、少し寂しい。
今年は娘二人が宮古旅をする。
末の娘の検査などがいろいろ控えているので、
私は宮古に行けそうにない。
宿題も何もかも忘れて、五感をフルに使えば
忘れられない夏休みになるのだと思う。
宮古島はそんな島なんだと思う。
今やイベントも行こうと思えばたくさんあるし。
自然はいつもちゃんと待っててくれる。
なんて、身内びいきな発言ですが、宮古がやっぱり好きなんだな〜。
2011年07月19日
傷ついたマンゴーの行き先は。

プラプラとネットショッピングをしていたら、
こんなページがありました。
そ、そっか。
こんなに救済されなきゃいけないマンゴーがあるのか、宮古島。
楽天で売っていました。
http://item.rakuten.co.jp/tsukiji-chokusoubin/2011-062101/
現在の宮古のマンゴー生産農家の実数は、ネット上では探せなかった。
たぶん相当数増えていると思います。
http://www.miyakomainichi.com/2011/06/19986/
この記事では書かれているのですが、今年は「過去最高500㌧を予想/マンゴー生産量」だそうです。
救済マンゴーは2キロ70000箱ですので140tですね。
完売してます。ありがたや。
宮古農林水産振興センターの発表では傷付いた果実は3割ですので、
それくらいですね。たしかにそのトン数です。
個人的には、嘘!と思うくらいのトン数だったので、マンゴー産地偽装を思い出しました。
裏をとろうと、つい検索をいろいろかけてしまいました。
産地偽装は、2008年に台湾産を宮古島産として売られていたという、
とんでもない話でした。あの時は市長はじめ宮古島の皆さんはがんばってました。
それにしても宮古島マンゴーが少しずつブランド化してきましたね。
島田紳助さんのおかげでしょうか。
一生懸命、美味しいマンゴーを作っている農家の方にも感謝です。
2008年当時は、
「産地協議会によると、市内のマンゴー農家は約218戸、2007年の収穫量は約350トンと推定している。JAおきなわ宮古地区営農センターによると、市内で生産しJAを通して販売した量は380キロと1%にも満たない状況だ。市内のマンゴーは各農家が個別で販路を確保しており、正確な農家数や生産量などの把握が難しくなっている(宮古毎日新聞)」
こんな状況でした。
なんというかですね、民が官を引っ張った良い例ではないかと思っています。
がんばる人は群れなくてもがんばれる。
心しておかなければ。。。。
2011年07月15日
おむすびは守りの証
夏休み、始まりますね。あぁ、おそろしい。
夏はこどもの時間管理だけで精一杯です。
島ではどうだっただろうと思い返しましたが、海と図書館しか記憶にございません。
海は気持ちいいから、図書館は涼しいからという体の声に正直な理由でした。
写真はおにぎりです。
こうして撮ってみると、すごい不格好です。
まあ私の家事能力がしのばれます。
おにぎりを作っておかないと、うちのぱくぱくモンスターには対処できません。
ところで、先日、大田区のNPOの主催する女子記者カレッジをお手伝いいたしました。
地域でフリーペーパーを立ち上げる方々に
「人を取材すること」を駆け足でお話ししました。
今まで、自分で仕事を言語化したことがなかったので、私自身がとても勉強になりました。
後日、受講生の方からメールをいただいて、ハタとおもうことあり。
その方は子育てしているのが「守りの日々」と記してありました。
そうですよねぇ。東京で子育てって守りという表現になる理由はすごくわかります。
私にとって、おむすびにぎっているのも守りのひとつ。
いろいろ理由はあれど、コンビニで買いなさいってわけじゃないので。(いや、子どもは食べたがりますが)
カーチャンの塩むすびの方が栄養あるのよ!という押しつける親の愛情です。
うちの子はすべからく室内犬な毎日です。
現代の子どもの一部は座敷犬のような気がします。
夏休みは海と図書館の毎日だった私はほとんど野良犬です。いや、放し飼いか。。。
今や野良犬ライフの日々をおくるのは贅沢ですね。
ちなみに私が彼女に返信したメールの一部です。
〜〜〜〜〜〜〜
何事も変化する。そのことだけは間違いがないのですね。
そして、どれだけ守っていてもシフトチェンジを迫られる現代に生きている私たち。
だからこそ、守ることに重きを置いていいだと思います。
私も軽やかにしなやかに生きていきたいと思いつつも、生活は毎日がお祭り騒ぎです。
子供と泣いたり笑ったり、子供を怒ったり、後悔したり。
毎日が精神的サーフィンです。物理的には綱渡りです。
いつか懐かしく思い出すのでしょうかね。
〜〜〜〜〜〜〜〜
四苦八苦の親(私)を持つ娘たちがかわいそうではありますが、
ま、これが現実です。我慢してもらおう。
そして、また、ふと思うこと。
宮古に、沖縄に移住した皆さんが「楽園暮らし」と表現されることもありますが
実はそればっかりじゃないことを知っております。
宮古なりのローカルルールは何年か住まないと理解不可だと思います。
暮らしに疲れて、都会へ戻った方々の多くも知っています。
だからこそ、島で笑顔で踏ん張り続ける人の応援はいつもしたいです。笑顔でね、笑顔で。
その逆もしかり。島を離れて別の土地で踏ん張る人も応援したい。
自分の土地に住み続ける人も応援したい。
なんだ、みんな応援したいんだ、私。
デフォルトは笑顔ですけど。(表面的でもいい)
今回の地震でのリポートを見ていると、人と土地の関係を改めて考えさせられます。
暮らす、生活すること、この人間の卑近さ。胸に迫る。
話を戻すと、東京もある意味特定のローカルルールが存在する場所です。
加えて時代を考えると、座敷犬は座敷犬なりの苦悩があり、野良犬は野良犬の苦悩があり。
お互いを理解できなくても尊重はしたいです。世界平和への近道です。
そのうえで、未来のこどもたちには(うちの子も含めて)ハイブリッドなワンちゃんになってほしい。
なんて思いながらおむすびにぎってます。
母は裸足で、私はナイキで、娘はクロックスで。そんな世代差を感じながら。
ちなみに前原前外相が宮古訪問をしたそうです。
下地島、大丈夫か。いや、大丈夫だろう。ここでNOをいうこと、代案を出すことは未来の子どもたちのためになることだと思います。
原発で右往左往している間に、こんなことが進んでいるのも怖い。
ちゃんとウオッチして声を上げていかねば。
これもおむすびにぎりながら、考えなければ。






