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Posted by TI-DA at

2019年01月27日

子育てから学んだこと & 4/9 「宮古と宮古馬を学ぶ会」を始めます0124



どこで撮ったか忘れたけど、なんかいいなぁ、と思った花のコラージュです。

さて、いつのころからか、自分中心の予定をたてないことにした。

子どもが小さい時、いつもイライラしていた。
なにで、イライラするか。

つい、子どもにイライラしてあたっている自分がものすごく嫌だった。直接的ではなくても、イライラした親に子どもは遠慮する。自分さえ我慢すればいいと考える。

イライラの原因は、自分の時間が思い通りにならないからだ。

次の日、7時に起きて、朝、ゆっくりしようと思っても、その真夜中に子どもが夜泣きをする、熱を出す。
予想していた7時前には、台所で、子どもの汗拭きタオルをお湯で絞ったりしている。

寝室からは「おかぁあああああさぁああああん」と泣き叫ぶ声がする。走って、寝室に戻って、子どもを抱っこする。あ、絞ったタオル忘れた。またイチからお湯を沸かさないと、と考える。

こんな繰り返しだ。自分の思い通りにならない。

ねこけて、次の日に起きたら、10時だったりする。

時間を決めれば決めるほど、あー、できなかったな、という気持ちでいっぱいになる。

私は不器用なのか、家事が苦手なのか、仕事が多いのか、こどもが身体が弱いのか、いろいろ思う。
自分の時間なんてない。仕事先の人はどんどん打ち合わせの時間を入れてくる。

会社に行って、打ち合わせの前に電話が保育園からかかってくる。

「お熱です、迎えに来てください」

打ち合わせのひとに平謝りして、また、走って、保育園に向かう。2時間前に預けたのに。

どんどんループがひどくなる。自分も熱で寝込む。

こんな生活していたら、自分に余裕も自信もなくなる。

何もできないんじゃないかと思い始める。

日にち、時間をがっつり決めて、何か行動するのに無理を感じるのだ。

だから、自分のことは後回しにするようになる。田舎者なので、いろんな人に気を使ってヘトヘトになる。

だんだん、自分を中心に考えることがなくなる。

ここまで書くと、とても問題ありに思えるかが、私はそう思うことで、いろんなものをあきらめることができるようになったし、あまり人に怒らなくなった。

相手には相手の理由があるのだと思うようになった。
約束を守らなくても、やった!時間があいた!と思うように、いつも本を用意した。
イライラするより、よっぽど自分の好きな本を読んだほうが良い。

相手に合わせるのだ。
その方がいまくいく。
私はいつもそう思う。

最低限のことと、優先順位だけきめておけばいい。

無理に我を押し通したりしない。
でも、意見は言う。
相手のことを主体に考えてるうえで、こう思うよ、と葉に衣着せずはっきりと言う。
それが否定になる場合もあるけれど、それで縁をきるわけではないのだ。

私が、子育てで学んだことだ。

私の優先順位は、弱い人のためにある。
私の仕事は、身近な娘たちを犠牲にしないようにする。
でも、優先したいときは「私はこうしたい」ときちんと話す。

そのためには、娘たちにもできることを増やしてもらわねばいけない。
いっしょに暮らす仲間なのだ。

最低限のこと。
整理整頓。
鍋でご飯を炊く。
掃除をする。
洗濯もできるようにする。
連絡事項は、自分で優先順位をつけて、私に話す。

基本的には、ルールはない。

何かあったらすぐに助けられるように、連絡だけはつくようにしておくくらいだ。

知らせなければ、私はわからないし、知らせることは私の仕事ではないにだと伝える。

お腹が空いたら、冷蔵庫を見繕って、簡単な食べるものくらい自分でつくれるようにするべきだ。
それなら、自分の好きなもので料理もできる。


まぁ、何が言いたいかと言うと、子どもは小さな人間だと思うようにしている。

自分で身体が守れるようになったら、いきたいところが出できたら、親と違うと認識できたら、自由が必要なのだ。

そして、自由には責任が必要だ。自分のお尻は自分でふくもんだから。

なので、なににおいてもそうだけど、私がせかして何かをしても無駄なのだ。だって、わたしではないのだから。

いくら娘でも他人の人生だ。肩代わりは難しい。自分で考え、自分で行動して、自分で責任をとる。
相手のペースがあるから、それを見守るのだ。
こちら側が単純に物理的に難しそうなら、きちんと話してみる。

わたしが明日死んでも、お腹もすくし、きれいな服だって着たいはずだから。
できるだけ自立の準備をしてもらう。
自分のことを自分で決められるように。

やりたいということは、ちゃんとプレゼンしてくれれば、お金と時間が許す限り、やりたいようにさせる。失敗してもいい、といつも言っている。

失敗は財産だ。

失敗のない人生のために生きているんじゃない。
失敗しても、また立ち上がれるように、まわりの人に助けてもらえるように、自分も周りの人を助けられるようになれればいい。

相手に合わせるというのは、そういうことじゃないかな、と思う。
ある種の距離をとること。

書いていて、とっちらかってはいますが、不義理をできるだけしないためにも無意識に多くを相手に与えすぎないことは必要だと思う。

そのためには、なぜ、自分がこう動いたか、ということをいつでも話せる言語化と相手に言いにくいこともまっすぐ言える心の準備をしておく。

私は、人より不器用で、苦手なことがいっぱいある。言葉足らずも多い。
だからこそ、近くにいる人に理解してもらうためには、いつも何を大事にしているか、わかってもらう必要がある。不安にあおられた行動や感情的で無責任なことはできるだけしないようにする。

そして、最初に戻るのだが、何かをイチから育てるときは「予定を立てない」「相手に極力合わせる」「(自分がきもちよくなるための)余計な手出ししない」が必要なのではないかと思う。

ちょっと振り返ってみた。

これからの活動は、全部、こういうことをベースにやっていこうと思う。

トライアンドエラーだし、その度、決断も強いられる。相手によっては、ごり押しもしてくるけれど、俯瞰で考えて、相手のためにならないことは極力避けようと思う。


とりあえずは、4月9日。馬の日に「宮古馬を学ぶ会」をキックオフしようと思います。
最初はゴテゴテだろうけど、粘土をこねるように、少しずつ形作っていけばいいいと思う。

予定をたてないことにした、と冒頭に書いたけど、期限と場所だけは決めておきます、笑。
場所はもちろん大岡山です。無理はしない、笑。    


Posted by 宮国優子 at 15:05Comments(0)

2019年01月20日

宮古馬と島的感覚という背景(超個人的)0120


昨日、行き当たりばったりで、久しぶりに高円寺に行きました、四丁目カフェが少しBAR的になっていたよー。

毎日続けることの難しさを感じています。
宮国です。

FBにもあげましたが、宮古馬に関することが少しずつ整備されていきます。
実は、担当の編集さんと私の長年の友人が友だちだったこともあって、宮古馬の問題について、直接聞きたくて、ニュースが出たところからやり取りしていました。

最新記事です。方向性は建設的な方向に向かっています。
https://hbol.jp/183803?fbclid=IwAR3j4BFxCQUI7T3dTNOXQJMSM6Z5RYAIl3fOX79K4B6FGii8h22tKmQwwtw


今回は、この担当編集さんとの背景などを書きたいと思います。そして、なぜ宮古馬のことがこうも心に響いたのか、です。

偶然なのですが、その担当編集さんと私は、20代の頃、何度か飲み屋で顔をあわせていたようです。

今の住まいである大岡山に引っ越すまでの1993年あたりから2003年までの10年間、私は高円寺に住んでいて、その時友だちを通じて飲み屋で顔を合わせていたみたいです。

私は、基本的に今も一人で飲み屋に行けるほどの豪胆さはなく、その友人らといっしょにいくくらいしかなかったので、多分、友人の記憶が一番正確だと思います。

あれから25年過ぎますが、ただのアホな若者だったわたしたちは、一応、社会人となったり、親になったりとみんなそれぞれの道を歩いてきたんだな、と感慨深いです。あの頃の友人たちは、ほとんど高円寺には住んでいませんが、何かあったときはこうして助け舟を出してくれたり、信頼関係に基づいたやり取りが生まれます。今回は、すばやくその担当編集さんとつないでくれたのもその時の友人です。

島育ちの私が、あまり変えられないと思うことがこうした人付き合いに関しては多々あります。今では東京の方が長いのに、です。

分母が多い東京では、人間関係の特徴的なこじらせ方があるように思います。all or nothing的な人間関係といえばいいでしょうか。人を役割で人間関係を結ぶような感じ。私は島的に育っているので、頭ではわかっていても、なにか割り切れなさを感じます。友だちは並列で友だちのような感じでつきあっていると、前提条件がちがうのできついやり取りやこじらせたりします。

島では、自分から人を切ったり、疎遠にしたり、責め立てて断絶する発言をすることは、難しいです。トータルで見ると私もこのやり方は身に染み付いているように思います。

一度もめたりして、疎遠だったとしても訪ねてきたら「お互い忙しかったね、最近はどう?」というスタートで始めたいと思います。ですが、その時に、もめた原因を振り返って、言うことはきっちりと言うので、人によっては水に流せない性格ととられます。

なぜ、振り返るのか、なのですが、私とその人の間では時間が止まってしまっているからです。だから、わだかまりを知らんふりして抱えることが難しいのです。お互い冷静になって、話しあうことで、また再スタートがきれます。お互いに相手にしていた甘えを再確認することは悪いことではありません。

私は、こういう時、わたしの島的感覚が日本では受け入れてもらえないような気がします。寂しいことですが、ただの違いでもあるので、今は深刻に考えないようにしています。でも、このようなやり方がわたし自身も相手を疲弊させたり、私もさらに傷ついたりとすることが多いこともあるからです。

相手が嫌だと言っているのに、それでも傷つける人は、傷ついていることが多く、それをうやむやにして前に進むのは難しいと感じています。対面の表現は、ある意味、二義的で、主観と客観を同時に持つことが難しいですしね。

これは、二人でも、組織でも、国家でも同じで、傷つけられていると感じることが他者を傷つけても良いという免罪符になる人もいるということなのでしょう。そこには争いしかないのに。

わたしにとって、今の時点では、もやもやした感情のカオスをできるだけ言語化して書き、先に進むことがまるで写経のように心を落ち着ける方法です。そこからやっと心を置き去りにせず、建設的に考えることができます。

最近良く思うのですが、人間は人として成長なんて、実はあんまりしないのかも知れません。社会で生きていけるように成長を目標にしてしまうと、何かを置き去りにしてしまうことが多いのかもと思っています。寂しさや悲しさが充満している人生は、腫れ物のようになって、かさぶたすらもうまく生成できない。

思春期がずっと続くような感じでしょうか。でも、実際はその傷が深ければ、やっぱりそれなりの手当は必要なのだと思います。私見ですが、私は宮古島に素直にスピリチュアル方向で向かう女性たちがもつ「生きづらさ」は、その促成栽培のような社会にノーと言っている気がするのです。でも、それはカナリアのような女性たちだけでなく、男性も同じように「生きづらさ」を抱えるようになるという道筋があるのではないでしょうか?

島は、子どものようでも、受け入れてくれる自然があったり、出会いがあったりします。いだかれる経験をして、また人は元気に帰っていくのかもしれません。それが味わえるエアポケットのような、石灰岩でできた濾過的な島は、そういう運命であの場所に鎮座して、アニミズムが発達するのかも。

さて、話が遠くなりましたが、今回の宮古馬の件は、自分自身の島と本土の違いも浮き彫りにしたので、とても心に響く経験でした。

話を戻すと、島に住んでいる当時、私にとって宮古馬の話は、植物園にいる絶滅種という意味合いでしかなかったと思います。とても悲しい思いで見ていました。島の痕跡がこうやって消えていき、それは淘汰であるんだろうな、ということが子ども心にもすくいとれる島の心情だったからです。

島の心情、と書いてしまうと、島が擬人化しますが、私にはそのように思えることが多いです。

宮古馬に関する背景は、このサイトの記者さんがすごく良くまとめているので、シェアします。

https://umas.club/st1002


このサイトではこう書いてあります。

::::::::::抜粋:::::::::::::

宮古馬の保護に奔走している人が宮古馬にばかり目が行くのは当然だとは思いますが、そうでない人が「宮古馬」以外になぜ目を向けないのか。

種の保存の観点から特定の種を重点的に護ることはあります。

しかし他の家畜の扱いが軽んじられていいわけではありません。

::::::::::抜粋終わり:::::::::::::

「そうでない人が「宮古馬」以外になぜ目を向けないのか」と書いてあります。

ずばり言ってしまえば「余裕がないから」だと思います。上記に書いた成長という言葉と、私にはどこか相似形のようにも思えるのです。

明日はこのことについてまた書きたいと思います。
  


Posted by 宮国優子 at 15:39Comments(0)日常閑話取材関係宮古現今

2019年01月16日

悪い男だ、新城和博、笑。自分が新城チルドレンだと思った夜0116

 


娘1が撮ってくれた写真。なぜか新城さんがマフィアっぽく撮りたいというので、こうなりました。しかし、楽しそうにだ。いや、楽しかったけどさ。



昨日、新城さんが大岡山でトークショーを開いてくれた。
店だと思っていたところが、かなりアジト化していて、驚いたと思う。

私は、その数時間前まで、仕事に追われて、散らかしたまんまだった。

新城さんは、どーするんだよーという顔をしたけど、私はいつものようにささっと片付けた。
ピンチヒッターの門馬さんや喜山さんがアシストしてくれて、始まる15分前にはなんとかなっていた。

かつてないほどに、完璧に始まった(時間だけ)。一分の狂いもなくスタート。

中身は別で書くとして、今回は新城さんと結構長く喋ったので、新城さんのことを書いてみたい。

終わった後、みんなでおしゃべりをしていた。
そしたら「宮国優子、熱すぎて、何がかいてあるかわからんよ」と言われた。
えーと、私のマグマの行き先は書くことなのにさ、新城さん、笑。

新城さんは、お酒を飲んで、上機嫌だった。
いつもろれつが回らなくなるので、うちの長女は「何言っているかわからなかった」と語っていた。

うん、私も最近やっと慣れた。
普段の新城さんは結構神経質というかナイーブで、でも図太いというすごく那覇の人、という感じがする。

お酒の飲むとほぐれる、という感じがする。
基本的に静かな人なのだ、たぶん。

愛想がいいという感じはしなくて、いつもびっくりして、おずおずとなる印象がある。
頭がいい人って、そんな感じの人が多いと思う。

書く人というのか。
臆病で、ナイーブで、大胆だ。

私は、宮古アレンジが効いているので、島的社交はできるけど、実は同じ人種名なんだなぁと思った。

ほっとする。


で、振り返って考えてみた。
私は、愛想良い人は苦手かもしれない。
そういう人は、相手が変わると態度が変わる。

たとえば、自分が上だと思うと、気を使わず愛想をなくす。

なので、私はいつもどんな時も、愛想など考えず「おぉ、宮国優子、お前は何をしようとしているんだよ」と驚くちょっと臆病な新城さんがいい人だなと思うのだ。


一見、柔らかく見えるけど、防御もかたい。
それが琉球弧の人間なのかな、と思う。
プライベートはあんまり出さない感じ。

島というところは、そういう人間を生むような気がする。
実は日本も世界からはそういう人種に見えているのかもしれない。
世界の離島は日本だから。

さて、新城さんなのだが、実力も運もあるから、オピニオンリーダーなのだと思う。
よく表現をするし、そう求められてきた。

で、新城さんが「ミステリーサークル」と呼ぶ円形脱毛症ができたのだと思う。
ここは、本に書いてある。本当におすすめだから、ぜひ買ってほしい。
店でも販売しているし、ネットでも買えるはず。

日本は、沖縄もそうだけれど、求められた表現を、できるだけ自分のエッセンスを入れながらマスコミに取り扱ってもらう。もしくは、読者やファン向けに。

実はタブルバインドもあるんだろうな、と感じたのだ。

そして、本当は、あふれるものをまだ内包しているっていうのが、琉球弧の特質ではないかと思う。
私だって「新城さん、何言っているかわからんくらいハイテンションなんだよ」と思っているのだ。

でも、あれはサービス精神なんだなぁ。
あれを沖縄の人はあったかいって思うんだろうなぁ。
ちがうんだよね、多分、熱いんだよね。
遠くから見ていると温かいけど、近くだとやけどする。

そんな灯火を持った人が、ゆらゆらと行動するのだ。
それを見守るボーダーインクの面々。
あー、いい仲間に囲まれているな、ほんと。
私の仲間もすごいけど。

で、わかったことがあった。
新城さんは、芸人、いや芸能人なんだな、と思ったのです。
いや、島の旅芸人のような。

おしゃべりというすごい技を持っている。

私も、まだ東京で浮遊している。
私も旅芸人でいたい。種類は違うし、規模も全然違うけど。

そして、そうか、私は新城チルドレンなんだな、と改めて思った。
私は、新城さんに見出してもらい、育ててもらった気がする。
「読めば宮古」は人生を変えた。
私が宮古をただの故郷として考えるのではなく、それ以上の意味を持つように、道ができていった。


結婚して、ちゃんと東京らしい奥様の道もあったように思うけど、そうならなかった。
感謝していいのか・・・・悪い男だ、新城和博。
でも、私の先祖は喜んでいるようにしか思えない。
だから、やっぱり感謝なのだ。

日本的な意味で嫁に行けない感じがしてたまらない。
まぁ、それはすっかりあきらめてしまった、というか、向いていないのでいろんな意味で決心がつきました。ありがとう、新城さん。

自分のことって、自分ではわからないものなのだね。

そして、なぜか思い出す、新城さんに連れて行ってもらっていったパワーストーン屋さん。
まぁ、これは、いつかの機会に書きます。まるで、それは昨日のこの日を予見していたような感じだ。

人生、何がおこるかわからない。
1989年、平成元年に私は花笠空港から出発した。
2019年、平成が30年で終わろうとしている。

なんか感慨深い。





  


Posted by 宮国優子 at 13:32Comments(0)営業日報博客管理

2019年01月13日

宮古馬の話は続く0113



今日、朝イチで連絡があった。
宮古馬の話が一通り終わったところで、スマホを開くと、馬のニュースがあった。
いろんなニュースがあるものです。個人的には、私はスポーツも競馬も動物園も苦手。
ゴールにたどりついた馬がその場で死ぬなんて、目の前で見たら、多分、ショックで寝込みそう。

特別な動物愛護の心があるのではなく、人間と同じなので、マラソンとか見ていると苦しくなる。
知り合いが頑張って走っていたり、トライアスロンはなんとなくいいのだけど、そこに競争の要素や笑顔を作らねばならぬエンターティメントは、いろいろ考えてつらい、笑。

さて、去年の終わり頃から、宮古馬の話が出てきて、いろんな人から連絡があって、右往左往してました。

そして、一昨日前の夜にその最初の記事の編集者に会うことができました。わざわざ訪ねてきてくれました。

私が何を話したかというと、今回の宮古新報の件と一緒なのですが、表に出たことだけで判断しないでほしいということでした。もちろん、表に出たことも判断の材料ではあるけれど。それと、宮古馬は、宮古の歴史と文化において、どのような役割だったか、とか。わたしたちが「島を旅立つ君たちへ」でなぜ宮古馬を取り上げ、地図に馬場での石碑を記したか、などです。

いつも島を平穏に、と考えているわけではないです。宮古の話をすると、宮古を保護しよう!みたいな話になるのですが、私はそれは表面的だった場合、ある種迷惑だとも思うのです。

島には、いろんな歴史があって、いろんな人がいて、いろんな真理があって、わたしたちはある一部分でしか関われないのなら、他の部分に敬意を払うべきだということです。東京のものさしだけをあててはならない。

あの人が嫌いだから排除、というのは、都会ならできる。でも、地方、ましてや島はどうだろう。私はとてもむずかしいと思う。
ならば、その人たちと近づいて、真意を探って、その人たちといっしょに大きな目標を達成してほしい。小さな違いはあるかも知れないけれど、大きな違いはないと思う。人も馬もいっしょにハッピーな道があると思う。

そうしなければ、対立がヒートアップする。

さて、宮古馬といえば、思い出すのがサニツ浜カーニバル

素敵なBlogを書いてくれている女性がいました。
最近はこんな感じになっているのですね。
https://www.turbine.co.jp/miyakojima/miyakojima-blog/sanitsuhama-carnival

与那覇湾には干潮時に大きな干潟が現れます。そこを馬が走ったり、各集落出身の催しをする、というものです。馬を走らせるようになったのはいつ頃からかわかりませんが、あまたあるイベントの中でもかなり古いものだと思います。宮古まつりとおなじくらいかもしれません。

宮古島・池間島の北にあらわれる珊瑚礁群”八重干瀬・ヤエビシ”の時期でもあります。私は行ったことないですが。今は観光客イメージがついている。

物見遊山で出かける気にはならないので、きっと行くならもっと年をとって、誰かといっしょにかな、と思います。こういう時、つくづく自分はエンターティメントに興味がないなと思う。八重干瀬のサンゴ礁は生き物だと思うので、なんだか悪い気がするのですよね。実際のところはわからないので、とりあえずはさわらない。自然を観光にするには、その生体を知らなければ、壊してしまうような気がする。

旧暦3月3日の「ハマウリ」の行事の日と全県的には言われていて、私は「ハマオリ」という言葉の感じで聞いていました。水で清めるというので、ある種の祭祀行事でもあると思います。って、いうことは、女性は不浄だということかもしれません。ですが、実はそんな仏教的なイメージはなくて、豊穣な海からの贈り物を楽しむという側面が、宮古では大きい気がします。

この時期は、いわゆる「うりずん」の時期で、一番島が新しい風や太陽に包まれる時期。「新しい年」を感じさせる。私の大好きな時期のひとつでもあります。

私は子どものころ、よく父に連れて行ってもらいました。
母には、その前日くらいに、お弁当をもって、静かに海を眺めるというだけのピクニックを楽しみました。Blogの写真は、その時の写真です。

着ている服のかんじから、多分8歳くらいだと思います。場所はサッフィ近くだと思います。背景を見ているとわかると思うのですが、ゴツゴツしたサンゴ礁の岩肌が懐かしく、今では少ししか残っていません。

島の人が、島が変わってしまった、開発が多いと感じるのは、こうしたことが背景にあると思います。

サニツここで宮古馬なのですが、サニツは神事に近いのかも知れません。神が馬に乗ってやってくる、というのは、よく聞く話でもあります。ある人が言っていましたが、夢に神が馬にのって出てきて、お告げをくれたそうな。おめでたい感じだと、鹿児島にもお祭りがある。国指定の無形の民俗文化財で鈴懸馬踊り(すずかけうまおどり)が有名だと思う。歌い踊りのなかに、いろんな飾りをさせられた艶やかな馬がいる。多分、その人が言っていたイメージに近いと思う。

そして、宮古馬と宮古といえば、ある写真を思い出す。昭和のはじめ頃の皇太子(平成天皇)と宮古馬だ。乗馬のために、おとなしい宮古馬が選ばれ、乗った姿は写真に残っていて、宮古の家のあちこちで見ました。ネットでググってもその写真は出てきません。白馬だったのはよく覚えています。

右流間(うるま)、球盛(たまもり)、漲水(はりみず)という名前だったようです。平成天皇は、与那国馬の視察にも行っていますし、なんとなーく覚えているのかもしれません。

しかし、名前の付け方が、独特・・・・。でも、子どもの名前につけても悪くないな、と思います。古くて新しい。

どちらにしても、戦後、ソテツ地獄で食べつくされそうになった宮古馬のなかでは、破格に幸せな一生だったのではないかと思います。

ここは宮古馬をとりまく歴史や文化も大きく関係しているのだと思います。

こうして、馬と人間の関係を、こうしてひとつひとつを紐解くような勉強会やクラウドファンディングなどを企画していこうと思っています。乞うご期待。











  


Posted by 宮国優子 at 12:14Comments(0)営業日報日常閑話宮古現今

2019年01月11日

勧善懲悪の文脈は、島には通用しない。#宮古新報0111




実際に自分が取材していないので、詳しいことはよくわからないけど、結構驚くニュースなのだと思う。
全国紙では、琉球新報の記事を毎日新聞が引用している形になっている。


https://mainichi.jp/articles/20190111/rky/00m/040/002000c

こういうのを見ると、いつも「宮古島は日本なのか」ということに行き着いたりします。
これは、基地問題や自治権、今回の県民投票拒否とか、いろんなことに派生している気がする。

迂闊に書いてはならないけど、その感性、感覚、時代の格差たるや、一人の人間が知覚するにはありあまる。

確かに、宮古は日本だし、その法律で世の中が回っている。
でも、法律決めるのって、宮古ではないし、それは条例なんだよな。

どっちが悪いとかいうのではなくて、その格差、温度差に忘れないうちに周辺は書いておきたい。

ウルトラマン的に、怪獣倒してめでたしめでたしで終わらないのが宮古であり、離島だと思う。

実際は、日本社会でも同じだと思うけど、母数がちがう。宮古は母数がある程度、顔が見えるというところに、新聞もマスコミもある。島のマスメディアでしかない。わたしたちのこどものころは4面しかなかった、ガリ版刷りにも似た新聞だったのだ。ある意味、名ばかりでもあるけど、島の人のために尽くしてきた。

島は新聞社が乱立した時代があって、その群雄割拠ぶりはまだ変わらない。宮古島市教育委員会が作った「みやこの歴史」を読んでもらいたいくらいだ。同列に並べてはいけないと思う。

東京は、弱者の声は弱いので、身近で聞くくらいしかない。東京では、個人の小さなことが社会問題ではないという認識だと思う。

小さな声が集まって、ある程度の大きさになれば、勃発するけど、そこは落とし所がありますよ、的なレールまで敷かれていることが多いような気がする。

まぁ、こういうことを書くと、言葉に気をつけたほうがいいと言う人もいるけど、私は、そうは思わない。もっと、いろんな人に参加してもらってこそのメディアであると思う。

民意をお金をかけた、予定調和の討論会で測るのではなく、みんなが自由にネットで言えばいい。代わりにノーペナルティで。

もう数年もたてば、AIさまが集めてくれるかも知れない。それはほんとに祈りでもある。

政治的、社会的な発言をする島の人は大きくふたつに別れる(気がする)。

覚悟をもって、友だちがいなくなるかも知れないけど書くひと、話す人。

職業的な人。

その他大勢は、毎日をつつがなく過ごして、たまにちょっと政治的な社会的な何かがあって傷つくと、身近な人に言ったり、自分で咀嚼したり、っていう人が多いと思う。

私は、それが普通だと思う。そして、その方がいいと思う。

私が、それでも社会的、政治的なことを書く理由は、気づいたから。そして、あまり良くないなと思うことやなんでだろうと思うことは、知り合いに伝えたほうがいいと思うから。

それだけ、地域差による温度差はあるからだ。

情報があるとないのは全然ちがう。個人の決定が変わる。

ただ、つまらない見てもいない、信頼性のない人の言うことに右往左往するべきではない、と思う。ただの与太話に付き合う必要はないと思うので。


【松島倫明】ニュース・ポルノに浸るのはやめよ

という論考があって、私は本当にそうだと思うので、見たこと以外はSNSで書かないようにしている。疑問、という意味では書くけれど。

ステレオタイプの相手を想像して、遠慮がちに書くことは、無駄だなぁと思う。

なので、ニュースの類いに中傷と揶揄では読まない。思い入れとともに読むと、特に島関係のニュースは自分の目が歪む。

というか、もうテレビのニュースもあんまり見ていないけど。特に、芸能情報とか。世の中がいろいろそれで動いているのもわかるけど、私の人生とはあんまり関係ない。

でも、優良なコンテンツは、どんどん量産されている。それは見たい。こう考えると資本主義って、悪いものばかりじゃないし、こういう余剰も生む。

だから、信頼する人が勧めてくれるものは今の時点で必要ないかも知れないけれど、いずれ見るということもできる。

まぁ、何が言いたいかと言うと、第一報だけで判断する世の中では、宮古はまだない、ということが言いたい。一度、ミソがついたら、一生言われるみたいなのは、やっぱりなんか知性がない。実際を知らないのに無責任だし、実際に自分の大事な人がそうされたら悲しいし、私は怒りを覚える。そして、多分、行動する。

だから、その人の経験は重視するけど、肩書でどーだー、みたいな人は実生活でも避けている。

話を戻そう。

私は、嫌になって放り投げてしまったんだろうな、宮古新報の社長は、と思う。
きっと、新聞労連も驚いているんだろう。日本的に考えると、感情で会社をたたむなんてしないからだ。

その社員たちの失職の責任を、今までの新聞記者としてのキャリアをすくい上げるところはあるんだろうか?

そこまで考えて、外から関わったひとは考えているんだろうか?

こういうのが、宮古を壊すこと、でもあると思う。

壊してしまったほうがいいこともある。でも、個人の生活を壊滅させるのはちがうはずだ。新聞社に記者だけがいるのではない。販売も営業も印刷も、いろんな人がいるはずだ。その人たちはどんな思いであろうか。それとも、全員で反旗を翻しているのか。

私は、そんなオール的なことは、ないだろうと思う。生活がかかっているのだから。みんな不安のなかなんだろうと思うと、経営者の責任は大きい。そして、牽引した人たちの責任はもっと大きい。

私は、実際に自分が東京で宮古の記者をやっていて、感じたことはいっぱいあるし、宮古の世間的には書いてはいけないこともあると思っている。

労働組合は労働で対価をもらう人たちの組合だ。当たり前だけど。
でも、労働だけいう関わり合い方で仕事をしている人は、島には少ないように思う。なぜなら、東京の新聞労連の人たちが思うより、地縁で物事が動いているからだ。

熾烈な家族間の揉め事に発展しかねない、と思う。

一度SNSで、宮古の新聞社と契約について、ある人に不当に書かれたけれど、それは名誉毀損レベルだと思っている。訴えてもいいけれど、そんなことに時間をかけるのは馬鹿らしいのでやらない。憎しみに時間を使っている暇はない。

でも、いつか書くことにもなると思う。と、いうか、書いているうちにこうして出る。対決だけを求める、勧善懲悪の世界に興味はないし、今、振り返るとパワーゲームのなかにいたくないという表明でもあった。そして、私にとってはそれが島の人らしい選択であり、私の生き方でもあると思うことにしている。

誰かが苦しい思いをしているのに、余計な荷物をのせたくないという気持ちからきていた。ネガティブな、結局、SNSで馬脚をあらわすような、つまらない仲間なんていらない。私のSNS上で一度ならず、二度もあって、怒りを通り越して、島のマスコミおじさん(一部)の頭の中は、まだ数十年前と変わらないのだと思うにいたった。

こういうことを書いている時点で、なんとなくわかる人にはわかると思う。

今回のことは、取材せずに自分が経験したことを中心に書いている。警鐘を鳴らしたい。どっちが悪いとか良いとか、そんなことはもうどうでもいい。誰かが苦しまないか、という視点で、もう一度関係者が冷静に考えてほしい。

こういうことに関して、外野は無責任。パワーゲームを繰り広げるひともそう。他に誰か痛い人がいないか考えない。

同時に、セクハラに関しても、宮古の男の人の性意識の違いすらも、東京の論理で語ってはいけないと思う。パワハラも同じく。そういう時代に生きてきた人もたくさんいる。その人たちを責めるだけでは解決しない。こうしてちゃぶ台をひっくり返される。

弱い人には弱いなりの生き方や戦い方がある。私はそう思う。人頭税だって、今はない。形を変えて、こういう圧になっていると思うけど。

嫌がることをした人が悪いのは当たり前だけど、それを見過ごしてきたまわりだってそれ相当の責任はあるはず。一朝一夕ではないでしょう。パワーにパワーを使っても戦争になるだけだ。解決はしない。

もちろん、100%解決しないかもしれないけど、相互理解をあきらめてはならないと思う。肩書を持ってしか対話をしない人に、同じようなやり方でやるより、他に方法を探ったほうが良い。

大きな目的はいっしょなはずだ。誰もがより良い暮らしが宮古島にあるように、と願っているはずだから。

私は、宮古のマスコミに関わっていたし、責任があると思うので、個人としてこういうことは書いていきたいと思っています。多分、生涯、根本的な意見は変わらない。

  


Posted by 宮国優子 at 12:35Comments(0)日常閑話

2019年01月09日

宮古の銘菓・嘉手苅菓子店のレモンケーキ0109


銘菓の意味は、

めいか
【銘菓】 特別の名をつけた由緒ある菓子。

らしいので、マイ・フェイバリットくらいにしておいたほうが良いでしょうか?
宮古から戻ってきた娘2と3が、白い箱いっぱいの嘉手苅菓子店詰め合わせを持って帰ってきました。

母の友人、というか、親友というか、いや、もう姉妹とも思えるY子おばさんたちが営む嘉手苅菓子店。

おばさんは島倉千代子に似てる。と、昔から私が思っている。ほんとに素敵なひとだ。
もしかしたら、母より信頼している。
おじさんは、ジュリーニ似てるよな、と子どもの頃、思ってた。宮古的イケメンだった。
今も優しいし、かっこいい。

うちの娘2は、そこの孫と同い年。年末年始、つるんでいたらしい。
お礼もしていないや。しなきゃ。そのうえ、お菓子までもたせてくれた。

宮古にお菓子は必須。こういう生菓子の類い。

お祝いやかんにごーやお盆や、欠かせないのだ。
懐かしい味。
宮古昭和の味。

宮古に菓子店と名のつく店は多い。
昭和の頃はに乱立したんだと思う。
風習にちかいくらい、お菓子はつきものだった・

たとえば、わたしたちは、高校合格をすると、箱にパンパンにつまったロールケーキを注文し、お祝いのお返しとしてくばった。

甘い甘い、お菓子は、しあわせの味だ。

しあわせな思い出だ。しつこいようだけど、昭和的なのです。
ノスタルジーにひたるなら、嘉手苅菓子店のお菓子おすすめです。

ローカルな感じがして入りにくいかもしれませんが、宮古に友だちができたら、もっていったら喜ばれると思う。
そして、すぐに仏壇に供えられる。

検索してみたらそっけない情報だったけど、載せときます。
https://sweetsguide.jp/shop/29187

下里通りをヤコブ保育園を過ぎて、空港方向に向かって、次の信号の少し手前の右側にある。
宮古島市平良下里748



戦後、小麦粉のほうが容易に手に入りやすかったからだろうか、宮古の人は小麦粉ものが好きだ。
天ぷらというなのフリッターもそう。

宮古 てんぷら で検索すると約 60,300 件 出てきた。

茶色い袋にさかなてんぷらを外では買うが、家では案外、残り物の野菜とか使う。
そしてソースで食べる。醤油ではない!

宮古島観光協会青年部が発信する宮古島ローカルな情報サイトがありました。
5分くらいにしっかり作り方がわかります。
美味しそう・・・・・。

っていうか、このこうじさんは、ひとつうえのJAPANさん(あだ名)だ。
すごいなぁ。観光協会って意外とあなどれない面白いネタ元な気がします。

https://www.miyako-guide.org/okinawa-tempura/



   


Posted by 宮国優子 at 21:49Comments(0)日常閑話

2019年01月08日

恥を知れ、なんて、悲しくて言えない0108



友人が高校の時から着てるジャージ。私と同世代の友人です。
私、こういうのに愛を感じるたちです。
なんか、良いやつだなぁとつくづく思う。


さて、宮古島が初になりました。
何がって?
桜です。

「宮古島でヒカンザクラ開花 今季初さくらの便り」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190107-00010002-wmap-soci




Yahooニュースに地味に出てました。
昨日のお話です。

宮古はクル!と言い続けて、17年。
ほんとに流行るかも。

いや、実はもうキテいるのかも。いろんな意味で。スポットライトが良くも悪くもあたる。

宮古島辺野古投票不参加のことが、県紙で、宮古島どーいうーことだ!みたいな論調が続きますが、私ははてどういうことだろうと思うのです。

憲法違反まで持ち出されてましたね。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/368131

木村草太氏が緊急寄稿 「県民投票不参加は憲法違反」
2019年1月7日 06:44
 沖縄県名護市辺野古の新基地建設是非を問う県民投票について、下地敏彦宮古島市長が不参加を改めて表明するなど、県が全41市町村の参加を呼び掛ける一方、実施する方針の市町村は現時点で35にとどまる。県民投票の事務処理拒否は、憲法上も問題があると指摘する木村草太首都大学東京教授が本紙に寄稿した。


まぁ、そうなのかもしれない。
でも、そんなに仰々しいものなの?

そして、憲法違反だったら、どうなるんだろう。

今まで解釈の範囲で、ずっと憲法違反してきたような国、県ではないかと思うのですが。
それなのに、一番端っこの自治体には、堂々と論戦をはるんだなぁ。
なぜ県民投票が必要になったかは、宮古島市が考えることではなく、まずは日本が考えることなのに。
そして、沖縄県は「宮古島がなぜ反対なのか」を考えてみる良い機会かもしれない。


憲法違反でググると、面白いように、わたしたちが憲法についての曖昧な解釈を感じる。
憲法違反って、いっぱいあるんだな、日本。

結局、小さなところは、大きなところにあわせなきゃいけないのだろうか?
県のなかで、マイノリティは離島。
その離島が、一応、議員決議をして決めたこと。それも二度。

それは県には認めてもらえないものか。
県が国に認めてもらえないように。

この入れ子っぷりに、私はたまに辟易するのです。
島は島の論理があるし、急かしてもいいことない。

何度も書くのですが、なぜ、宮古島市がそういう傾きになるか、県で考えてもいいんじゃないかと思うんですよ。
私は、なんとなくここにいじめの構造に似たものを感じる。

SNSで、宮古島市、恥を知れ!と書いてある文言を見ると、うんざりするんです。
理解する気なんてないんだよね、多分。
現実社会が嫌になる、笑。

いろんな意見があっていい。
私の友人は、私がどんな意見でも恥を知れ、とか言わないぞ。
それは、島の友だちでも、東京の友だちでもいっしょだ。

私は、その友人たちに「恥を知れ」と言われたら、きっと初めて考えるのかもしれない。
「何があなたの恥ですか?そして、何が私の恥ですか?」と聞いてしまうのかもしれない。

わたしの友人は、あーいうジャージを着る人もいれば、そうじゃない人もいる。
でも、友だちは友だちなんだと思う。
心のなかは見えないけど、その人の人となりはいろんなとこに出る。

かっこつけてないけど、かっこいいのが好きなんだと思う。
その人がその人らしければいいのだ。

超、ワタシ的に。

なので、SNSの良いところも悪いところも、できるだけ受け止めたいと思うけど、さすがに今日は辟易しました。

さぁ、さて、今日は、あわただしく、仕事をしていました。

なんや、かんやと失敗をしてしまう。
が、なんとか、危機一髪を繰り返して、今、店におります。

ふぇーー、疲れた。

でも、死んでない。生きているだけでいいか、笑。
そういうシンプルさで生きていきたい。
それが島の暮らしだったように思う。

恥を知れ、なんて、悲しくて言えない。  


Posted by 宮国優子 at 22:33Comments(0)日常閑話

2019年01月07日

1月7日の記事





今日はボヤキです、笑。この絵のように軽やかにいきたい・・・が、しかし!

言葉を巡って、喧々諤々することも多いわたくし。
言葉って、ほんと、強い。たまにちょっとした暴力より痛い。

それは、自分が使ってしまうことも含め、いつも自戒しなければいけないな、と思うのです。

今日は、なんだかカリッとデーみたいで、ちょっと怒りで手が震えた。

「〜しろ」とか、「〜しなさい」とか命令されたり、こちらが真剣に言っているのにふざけた物言いで返されるほど腹が立つ事はない。

まぁ、面白くないし、ギャグにすべきことでもないときは、猛然と怒る、というか、怒ってしまう。
それと匹敵するのが、無視かな。

何度か忠告を受けるときがある。
仕事してたら子どもがかわいそう、とか、
勉強が足りない、だとか。

今の御時世、本気か?と思う。
本当に思っている人は、言葉に慎重だ。
多弁は雄弁ではないから。

政治的なことを書くと「議員でもなるつもりか」という人もいる。
いつの時代・・・・。

友だちのふりをされても困る人もいる。
「すなす」(笑)と思うこともある。*すなすは、宮古のどつくぞレベルワードです。

私は、たいした人間ではないけど、たまに人の噂にのぼることがある。
実際に、私がいると知らず(知り合いでもないので)私の話をしている人がいた。
本人たちもびっくりしたと思う。
悪口に発展したかどうかはわからない。でも、ドラえもんレベルでかなり架空の人物であった・・・。
私は聞くに耐えず、黙ってその場を去った。

宮古には「ふつだみ」というニガイ(祈り)がある。
年に何回か、その祈りの時期があって、私は自分ではニガイはできないので、母がやってくれている。ありがたい。

要は、悪口を払うことが主だ。

ここで面白いのは、実は良いことも同じなのだ。
良い評判でも払うのだ。

一度、フラットに戻す。

神道的な「水に流す」とは、どこか具合が違う。

考えるに、言葉は人を支配するのに優秀な道具だからかもしれない。
平穏無事に生きていくためには、フラットに戻すのだ。

これって、もしかしたら、仏教的な「悟り」の概念なのかな・・・。
うーむ、わからん。

今更、鎌田東二の「神界のフィールドワーク」を読み直しているのだけど、ますますわからない。

わかるのは、言霊が自分にとって、大きな意味を持つってこと。

今日、ブチ切れた理由は、相手が悪びれずふざけて方言を使ったからです。
言葉っておそろしいくらい影響力がある。特に私には。

自分の心の狭さに、というか耐性の無さに、唖然としつつも変えるつもりがない私。

こういうのを文化収奪されたような気分なんだと思う。

昔、Twitterで「物マネは本質的に、受け手がバカにされたと思うリスクがある表現」と評した人がいたけど、多分、ほんとにそう。

真似にポジティブな意図を感じれば逆に好感度があがることもあるのだけど、馬鹿にした感じは、やっぱりアウトなんだと思う・・・・。

言霊、だいじ。とくにわたしに・・・・。
  


Posted by 宮国優子 at 21:22Comments(0)

2019年01月06日

年末年始をふりかえる新月のとき190105


 
少しずつ、ブログのやり方に慣れてきました。宮国です。

さて、今年はこんな感じだろうなぁ、と思うことがあります。
それは、冒頭の写真ですが、新月前に空を撮ったのですが、肉眼では見えなかったのに、写真はちゃんと見える。
世の中って実はそういうことにあふれているのか、と。

だいじなことを見逃さないでいたい。


これも道すがら撮りました。
寒空のなか、雑草、名前はあるんだろうけど、ただの小さな草花がブロックの割れ目から元気に咲いてました。
あぁ、そうだ、こういうのが生命力なのだ。
宮古では、見るたびに写真を撮っていました。

 
年末に、tatamifukuの野口さんが打ち合わせに来てくれました。
「島を旅立つ君たちへ」のデザイナーさんです。
来年は、いとこさんと、おかしやさんを!

 
今日は、現在、友人K、K娘、わたしで、KNの新居におじゃましているところです。
自然豊か。猫かわいい。
サンキャッチャー、メルヘン。

写真が縦アップできず、この写真のみ!



  
昨日は、八太夫さんの新作「15円50銭 東京大震災」が聴けた。
ほんとに楽しかった。
今年はいろいろ動きそう。あ、谷川ゆにの本の書評がを今日、養老孟司さんが毎日新聞に書いていた。
私の友だちは、なんでそんなに偉くなっていくのか、笑。


 
年末に食べた牛の胃。
いつもですが、美味しいのです。
大岡山にお越しのときは、ぜひごいっしょに。


今日の夕方です。
これからみんなでコーヒー飲んで、大岡山に帰ります。
バックミュージックは、玉置浩二。

ネットで拾った写真です。
文化センター、懐かしい。

今日は、写真特集でした、超私的な。






  


Posted by 宮国優子 at 18:31Comments(0)

2019年01月05日

宮古ふつ(方言)オノマトペ駄洒落再興190105








宮古の方言は独特の言語世界があるような気がしています。

「読めば宮古」が売れた理由は、自分たちで「何言っているかよくわからないけれど、自分たちの言葉が面白すぎるから、自分たちでおしゃべりするように、書いてみようよ、残してみようよ」だったと思います。

いまさら、しなじぇーと聞いて、笑える人はどれだけいるだろうか。
わたしたちは、宮古はじめての近代バブルの申し子ですから、新しい言葉を作る余裕があったのだと思う。

ちなみに、しなじぇーは、市内をブラブラする、かっこつけてるジェームス・ディーンです。
なんだ、そりゃ、ですが、わたしたちは、この言葉をガンガンに使い、こよなく愛したのです。

で、「読めば宮古」の話しに戻ります。


当時、私は難病になって、結婚して、暇すぎて、毎日考えていたのです。なんの編集経験もないのに、突如、頭がフル回転したのでした。

そして、新城和博さんという、あこがれの沖縄若手名編集者と仕事がしたかった。

それまで宮古毎日新聞で型通りの記事、フリーランスでナレーション台本を書いていたのも大きかったと思うのです。日本語ですら、書き言葉とよみ言葉にあわいが半端ない。

その先の標準語というか、日本語と宮古ふつのあわいをユラユラしているうちに、まるで織物をするように(宮古上布とは言わん、笑)手はキーボードを打ち、足はクイチャーを踊るように仲間たちのところへ向かったのでした。で、本ができた。

あのときの、みんなの情熱はなんだったんだろう。自分も含め、かえすがえすも不思議。

ちなみに、宮古方言は絶滅危機言語です。

じゃぁ、わたしたちは、絶滅するか。

否。

わたしは死ぬけど、宮古ふつの、宮古言葉の言霊的なものは、身近だと娘に、友人に、本を読んでくれる人に伝わるんじゃないか、と思っています。

言語学的に、民俗学的に、歴史学的に、まじめに言葉を分析することは他の人にまかせてもいい。
ていうか、わたしはできない。
でも、わたしは、宮古ふつを遊ぶことができる。

宮古ふつを予祝的に使う祭祀行事と同じだ。

久高島のイザイホーが悪いとは言わないのですが、ノロを中心にした祭祀は、どこか硬苦しく上下を感じる。

では、なぜ宮古がなぜ予祝的と感じるか。

大きな声では言えないが、おままごとに見えるのだ。仰々しくなく、カーニヴァル的。かわいらしい。女性がワイワイと次の段階へ行くような。


みんなシャーマンが合言葉のような。ノロはいるにはいるけど、とりまとめでしかなく、すごぉおおおおおくえらい!って感じはない。

久高では、誰が跡継ぎだとか、いろいろもめている話もきく。宮古だって、そういう人はいるはいるけど、威張れば威張るほどバカにされるし、こづかれる。


46,7歳からの参加なので、閉経を考えると、子どもを生むという世間の義理は果たした、という喜びに満ちている。


子どもを産まない人でも、同じではないだろうか。もしくは、男子を産まないことで、嫌味を言われなくても済むし。まわりがあきらめてくれる愉快さ。

さて、言葉に戻ろう。

オチのないエロは大嫌い、と普段公言しているのだけど、最近、自分でその理由はわかったような気がしている。

私にとって、日本語のエロは、英語のエロと同じに聴こえてしまう。どぎつい。私には刺激的過ぎて、気持ち悪い、笑。
でも、宮古ふつのエロ言葉は笑いしか生まれない。

陽気で、開放的。それは、生活の中にあったからで、当たり前で、どうでもいいことだからかもしれない。こうして、日本語と宮古ふつの間をあれやこれや考えているのが楽しいのだ。

陽気ぐらしを地でいきたい。言葉や物語にひたりながら。

あ、また妄想にとんだ、笑。

えーと、なぜ再興と私が書いているかなのですが、日本語で言う駄洒落は、実はこのキーボード変換にあるような気がします。昨日もそうなのですが、ギリギリ間に合った、をギリ間に合った、と変換しようと思って、義理間に合った、になってしまう。シュールな気持ちになります。

それは、先のしなじぇーと少し似ています。

わたしたちは、液体がかかると、あいじゃ!という民族で、そのあいじゃ!という宮古身体的言語と、しなじぇー的宮古的ニューワードを両輪にするのです。

まさに、あの世とこの世のあいだなのです。

かんしーきゃーぬ、みゃーく!
(こうしているうちが、生命のダンスを踊っているのだ)と、勝手に和訳してみました。


今日は、これから、谷川ゆにたちと山伏の家で魔女会合してきます。
谷川は、谷川健一さんのめいっこです。
宮古でメタモルフォーゼして、いきなり私の前に現れた、笑。

書いたらいいよ!と言ったら、学者なのに、とびこえて、こちらにやってきたひと、という感じです。

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784106107948










  


Posted by 宮国優子 at 14:21Comments(0)営業日報