2019年01月27日

子育てから学んだこと & 4/9 「宮古と宮古馬を学ぶ会」を始めます0124

子育てから学んだこと & 4/9 「宮古と宮古馬を学ぶ会」を始めます0124

どこで撮ったか忘れたけど、なんかいいなぁ、と思った花のコラージュです。

さて、いつのころからか、自分中心の予定をたてないことにした。

子どもが小さい時、いつもイライラしていた。
なにで、イライラするか。

つい、子どもにイライラしてあたっている自分がものすごく嫌だった。直接的ではなくても、イライラした親に子どもは遠慮する。自分さえ我慢すればいいと考える。

イライラの原因は、自分の時間が思い通りにならないからだ。

次の日、7時に起きて、朝、ゆっくりしようと思っても、その真夜中に子どもが夜泣きをする、熱を出す。
予想していた7時前には、台所で、子どもの汗拭きタオルをお湯で絞ったりしている。

寝室からは「おかぁあああああさぁああああん」と泣き叫ぶ声がする。走って、寝室に戻って、子どもを抱っこする。あ、絞ったタオル忘れた。またイチからお湯を沸かさないと、と考える。

こんな繰り返しだ。自分の思い通りにならない。

ねこけて、次の日に起きたら、10時だったりする。

時間を決めれば決めるほど、あー、できなかったな、という気持ちでいっぱいになる。

私は不器用なのか、家事が苦手なのか、仕事が多いのか、こどもが身体が弱いのか、いろいろ思う。
自分の時間なんてない。仕事先の人はどんどん打ち合わせの時間を入れてくる。

会社に行って、打ち合わせの前に電話が保育園からかかってくる。

「お熱です、迎えに来てください」

打ち合わせのひとに平謝りして、また、走って、保育園に向かう。2時間前に預けたのに。

どんどんループがひどくなる。自分も熱で寝込む。

こんな生活していたら、自分に余裕も自信もなくなる。

何もできないんじゃないかと思い始める。

日にち、時間をがっつり決めて、何か行動するのに無理を感じるのだ。

だから、自分のことは後回しにするようになる。田舎者なので、いろんな人に気を使ってヘトヘトになる。

だんだん、自分を中心に考えることがなくなる。

ここまで書くと、とても問題ありに思えるかが、私はそう思うことで、いろんなものをあきらめることができるようになったし、あまり人に怒らなくなった。

相手には相手の理由があるのだと思うようになった。
約束を守らなくても、やった!時間があいた!と思うように、いつも本を用意した。
イライラするより、よっぽど自分の好きな本を読んだほうが良い。

相手に合わせるのだ。
その方がいまくいく。
私はいつもそう思う。

最低限のことと、優先順位だけきめておけばいい。

無理に我を押し通したりしない。
でも、意見は言う。
相手のことを主体に考えてるうえで、こう思うよ、と葉に衣着せずはっきりと言う。
それが否定になる場合もあるけれど、それで縁をきるわけではないのだ。

私が、子育てで学んだことだ。

私の優先順位は、弱い人のためにある。
私の仕事は、身近な娘たちを犠牲にしないようにする。
でも、優先したいときは「私はこうしたい」ときちんと話す。

そのためには、娘たちにもできることを増やしてもらわねばいけない。
いっしょに暮らす仲間なのだ。

最低限のこと。
整理整頓。
鍋でご飯を炊く。
掃除をする。
洗濯もできるようにする。
連絡事項は、自分で優先順位をつけて、私に話す。

基本的には、ルールはない。

何かあったらすぐに助けられるように、連絡だけはつくようにしておくくらいだ。

知らせなければ、私はわからないし、知らせることは私の仕事ではないにだと伝える。

お腹が空いたら、冷蔵庫を見繕って、簡単な食べるものくらい自分でつくれるようにするべきだ。
それなら、自分の好きなもので料理もできる。


まぁ、何が言いたいかと言うと、子どもは小さな人間だと思うようにしている。

自分で身体が守れるようになったら、いきたいところが出できたら、親と違うと認識できたら、自由が必要なのだ。

そして、自由には責任が必要だ。自分のお尻は自分でふくもんだから。

なので、なににおいてもそうだけど、私がせかして何かをしても無駄なのだ。だって、わたしではないのだから。

いくら娘でも他人の人生だ。肩代わりは難しい。自分で考え、自分で行動して、自分で責任をとる。
相手のペースがあるから、それを見守るのだ。
こちら側が単純に物理的に難しそうなら、きちんと話してみる。

わたしが明日死んでも、お腹もすくし、きれいな服だって着たいはずだから。
できるだけ自立の準備をしてもらう。
自分のことを自分で決められるように。

やりたいということは、ちゃんとプレゼンしてくれれば、お金と時間が許す限り、やりたいようにさせる。失敗してもいい、といつも言っている。

失敗は財産だ。

失敗のない人生のために生きているんじゃない。
失敗しても、また立ち上がれるように、まわりの人に助けてもらえるように、自分も周りの人を助けられるようになれればいい。

相手に合わせるというのは、そういうことじゃないかな、と思う。
ある種の距離をとること。

書いていて、とっちらかってはいますが、不義理をできるだけしないためにも無意識に多くを相手に与えすぎないことは必要だと思う。

そのためには、なぜ、自分がこう動いたか、ということをいつでも話せる言語化と相手に言いにくいこともまっすぐ言える心の準備をしておく。

私は、人より不器用で、苦手なことがいっぱいある。言葉足らずも多い。
だからこそ、近くにいる人に理解してもらうためには、いつも何を大事にしているか、わかってもらう必要がある。不安にあおられた行動や感情的で無責任なことはできるだけしないようにする。

そして、最初に戻るのだが、何かをイチから育てるときは「予定を立てない」「相手に極力合わせる」「(自分がきもちよくなるための)余計な手出ししない」が必要なのではないかと思う。

ちょっと振り返ってみた。

これからの活動は、全部、こういうことをベースにやっていこうと思う。

トライアンドエラーだし、その度、決断も強いられる。相手によっては、ごり押しもしてくるけれど、俯瞰で考えて、相手のためにならないことは極力避けようと思う。


とりあえずは、4月9日。馬の日に「宮古馬を学ぶ会」をキックオフしようと思います。
最初はゴテゴテだろうけど、粘土をこねるように、少しずつ形作っていけばいいいと思う。

予定をたてないことにした、と冒頭に書いたけど、期限と場所だけは決めておきます、笑。
場所はもちろん大岡山です。無理はしない、笑。  




Posted by 宮国優子 at 15:05│Comments(0)
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