2014年07月28日

私は沖縄を知りたい。

私は沖縄を知りたい。
*沖縄の海はやっぱりきれいでした。同行者らに笑われたので、私も苦笑いしてます。



タイトルの沖縄は、沖縄本島を指します。
私の世代の宮古の人にとって、沖縄本島は「沖縄」と呼びます。
本土から見たら、私たち宮古も「沖縄」なのですが、あえて、やっぱりこう呼びたいのです。

シンポジウムが終わって、東京に戻りました。
いつももう少し長くいたいのですが、なかなか難しく。

あっと間に子どもまみれの日常に戻りました。
二日間会わないだけでも、可愛く見えるこの不思議。
いや、会わないからなのか・・・。

今回のシンポジウム。前にも書きましたが、私は人前で話すのが苦手です。
事前に編集者の小原さんからメールを頂き、メモを返しました。
その時点でもまとまっていなかったのですが、勿論、シンポジウムでもまとまっていませんでした。
聞いていた人も半分くらい意味がわからなかったと思います。あぁ、胃が痛い。

海千山千で「伝えること、考えること」が主たる職業の大先輩方についていくのがやっとでした。
パネリストのなかに沖縄本島出身、沖縄に住み続けている人の話がなかったことで、私自身はブレブレになりました。普段の東京でのブレなさは、こっぱみじんでした。

どの立場からどの文脈で話すのか、上から目線がなんなのか、考えた挙げ句に空回りしました。
次の日、辺野古あたりを皆で視察に行きましたが、感想は同じです。

アホ目線で言わせてもらうと、やっぱり私は全然沖縄を知らない。痛感しました。
そして、かなりの臆病者なので、自分が暴発するような発狂するようなことは直視できない。

辺野古のテントでの説明を途中でこっそり外れました。時折、挟み込まれる体制への非難が耐えられなかったからです。

私にとって公私が錯綜するところが沖縄なのだと思いました。
なので、今は言語化出来ないことが多いです。
これはかなりのメンタルの弱さです、たぶん。すいません。謝るしかない。

だから、考え続けたいし、自分の出来ることをしていきたい。今は、それしか浮かびません。
ネガティブな意味ではなく、へたれの私はそのへたれなりのアプローチがあるかもしれない。

辺野古に向かう途中に、ジュースを買いがてら、釣具屋でクバガサを買いました。暑いから、帽子がないから購入したのですが、私の無意識がよく現れている、と後から思い返しました。

私は、辺野古の海でかぶりたかったんだと思います。まわりから失笑ものだし、ふざけていると思われるかもしれませんが。

あの暑い砂浜を、岩場を裸足で歩いてみました。
直観的に裸足になりましたが、私は私のアンテナを使いたかったのだと思います。
私は、何も持っていないので。そんなヤツが登壇して良いのか、ということはおいといて。

辺野古のテントでレクチャーされるよりも、慰霊の日に南部で踏みしめた土の方が実感として、心に響くのです。
言葉ではない、足もとから感じるこの実感。直視できないほどの太陽の光、額に流れる汗のわずらわしさ。
頭だけではわからない、言葉をもたない体感が私には必要だと思う。

私は、沖縄を知らない。知ろうとすればするほど、混乱する。
だから、私は沖縄や宮古に住むことができないのだろうとも思いました。
少し距離がなければ、心が壊れてしまいそうです。

先ほど、ある方にメールを書きました。正直な感想です。

「沖縄の人には耳が痛い言葉も多かったと思います。私自身、どの立場で聞けば良いのか、引き裂かれる思いでした。(中略)私は沖縄は消費されているとは思っていません。どっちかといえば、消費しあっているように感じます。お互いが葛藤を抱えて、わかり合えない溝、わたれない川をわたろうとしているように思います。もしかしたら、あえて、渡らなくてもいいのではないか、と思うこともあります。」

今は半宮古半東京ですが、子どもの頃の憧れは沖縄本島でした。
かつてのあこがれの人、身近だったけど深いところで時間をともにしなかった相手。
いとこに恋したようなものでしょうか。(最近、その手の悲恋話を聞いて、相似形だと思いました)

その沖縄が迫ってくるように感じました。いや、実際は私が押しかけたのですが。
切ない旅になりました。

沖縄や宮古を代弁もできない、する立場にもない。
そのことを念頭において、考えていきたいと思います。
私は沖縄をもっと知りたい。勉強が足らんと思うから、頑張ります。

聴衆の方々から感想を送って頂くことになっていますが、私はきっとまた、ひょぇええ〜、とおののくと思います・・・心の準備をしておこう。

全然、報告になっておりませんが、そんな気持ちでいっぱいです。

最後にこの場を借りて、お世話になった皆さんにお礼申し上げます。
経験に勝るものはないと思いました。発言する人たちの責任の重さ、それを支える勤勉さ、感服するばかりでした。

ここからは、個人的な決意です。
ナイーブな沖縄メンタリティから、したたかへ。したたかというと、言葉が悪いのかもしれない。
交渉のできる、clazyかつcleverな方向へシフトチェンジしようと思います。

だって、世の中は手強い。同時に、世の中はもろく、美しい。
まずは、自分の子どもに伝えることができるだろうか。
夕飯後にでも、寝転びながらゆっくり話してみよう。



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Posted by 宮国優子 at 14:04│Comments(0)営業日報
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