2015年01月21日

走りながら考える 情熱は伝播する よって滂沱の涙



長々とお休みしていました。皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
平成26年度沖縄文化活性化・創造発信支援事業 のご支援をいただいている講座は、第四回まで無事に終わりました。日々、いろんな意味でチャレンジングなので、時間があっという間に過ぎます。能率悪いです、すみません。

「なぜ、宮古の歴史に興味を持ってるの?」
と、今回はよく聞かれました。

正直、自分でもわかりません。

ただ、種のようなものが子供のころから暮らしのなかに無数に広がっていました。それは家族だったり、友人だったり、先輩からだったり、はてはよく知らない通りすがりのおばさんだったり。

大人から見れば、歴史に興味を持つようなタイプの子どもには見えなかっただろうし、実際興味はありませんでした。ただ好奇心だけ強く、子供のころから「なんでか(なぜ)?」を連発して大人を辟易させていました。当時の宮古という世
界は、世替わり真っ最中で、私にはカオスすぎて興味深く、一人熟考するより、まわりに質問しなければいけないほど、謎に満ち満ちていたのだろうと思います。

それは、あたりまえの生活のなかで
「おばぁが売りに来るタライのなかの魚は、なぜ、こんなにきれいなんだろう」とか
「なぜ、あのおじさんはいつも酒に酔っぱらって暴れているのだろう」とか
「若い女の人は島から出ていくんだろう」とか
「みんな必死に祈っているけど、この神さまへの祈りはどこに届くんだろう」とか
そんなことばかり目についてしょうがなかったのです。

カオスは複雑なようで、実は単純で、かと思えばとても複雑で、そのヒントが宮古の歴史にあるような気が、今、しています。公私ともにです。

2002年の「読めば宮古!」は勿論大きなきっかけですが、流れるようにここまで来たことをまとめておきたいと思います。

2002年、「読めば宮古!」が発売されて、ただの友達との文集のつもりが大ブレイクしました(こう書くのも恥ずかしいですが)。何も考えず「今の宮古の話をまとめとこう」と思ったのでした。宮古の歴史については、私たちの世代によくあるように無関心、不勉強でした。

2003年、平良好児賞を「さいが族」として、いただきました。そのパーティで大御所である仲宗根先生に叱られたことが「宮古の歴史」に興味をもつようになったきっかけです。そんなに怒られるんなら、きっと私が何も知らないんだろう、と。何も考えず、ただただ、仲宗根先生の迷惑を顧みず、宮古に帰省するたびに訪ねました。先生の宮古に対する情熱は私の胸に伝播しました。

あれから10年以上、難しすぎる歴史の話を今もうかがっています。メモをとった本人の私がまったく理解していないことも多かったし、今も多いです。ですが、最近は研究者の皆さんとおうかがいするので、復習ができます。私は研究の訓練を受けたことがないので、先生方には本当にお世話になっています。一人じゃないって心強い。


その際、数年前から仲宗根先生のご自宅にシロアリが出て、資料が食べられて困っているというお話を聞いていました。何かできることはないだろうか・・・と考えていました。


そこにアーティストの下地暁さんから文化振興の補助金のお話をすすめられました。もともと「読めば宮古!」の恩をどうやって返せばいいかわからず、2010年に一般社団法人ATALASネットワークという団体を、印税を使って宮古の友人らと中心に立ち上げました。私の「今は必要なくても10年後には必要になる」という妄想にも近い提案に、友人らは快く名前を連ねてくれました。今回、補助金申請するには組織があるのとないのでは大きく違いました。代表にもなってくれたNには感謝しています。


また、昨年、法政大学沖縄文化研究所で宮古研究会という名のもとに、集まってくれた研究者の皆さんがいました。申請資料はその先生方とともに書き上げ、提出はATALASネットワークと二人三脚でした。


話は、少し脱線しますが、今回の書類提出に大きな力を貸してくれたのが、法政大学沖縄文化研究所とそこで開催される宮古研究会でした。発足したきっかけもMさんという沖縄文化研究所のスタッフの方でした。他にも屋嘉所長、所員の福先生、K研究員などたくさんのお力を借りました。研究者の皆さんはもともと宮古研究をしていたT先生、T先生を紹介してくれたK先生(一般社団法人ATALASネットワークを立ち上げた際もお世話になりました)、ひょんなことから知り合った沖縄在住のS先生、宮古の後輩のMさん、などなどを中心に胎動とも思える時期2014年でした。なんの胎動かは私もわかりません。でも、確実にマグマのようなものが噴き出し始めたように思います。


そして、もうひとつ大きなきっかけになったのは、民俗学者の柳田国男の研究所に最後まで在籍していた酒井卯作先生のお言葉でした。いつも温和で、ユーモアあふれる先生が2013年のお話会で「なぜ君は本気で宮古研究しないんだ!」とある資料を前に叱られました。先生のそのようなお顔を拝見したのは最初で最後です。私は、宮古が様変わりしている様子に気づいているにも関わらず、さぼっていました。ただ資料を集め、喜んでいました。公財であるべきものを個人的な楽しみにしていました。伝えるべき人がたくさんいるのに。


2014年の新年会の二次会で少人数になったとき卯作先生から「なんでも協力する」と、またからお言葉をいただきました。真心が伝わってきました。卯作先生の学びに対する情熱は、先生そのもので、先生が御年九十歳になっても青年のように若々しくあるのはそのせいだと思います。ここでも情熱は私の胸に伝播しました。


話を戻しますが、平成26年度沖縄文化活性化・創造発信支援事業の最終プレゼンテーションは、私に課せられた大きな仕事でした。その時、東京出発の前日の朝方まで手伝ってくれたのが友人のT君、R君、那覇での前日は沖縄のホテルに詰めてくれたYさん、それこそたくさんの人が支えてくれました。


プレゼン当日はプレゼンテーション途中に、prezというソフトがストップしてしまうという非常事態もありながら、なんとか終了しました。質疑応答など難しいところはATALASネットワークの代表のNやS先生が説明下手な私を助けてくれました。


そこでいただいた審査員の方々の言葉は、一言一句覚えているわけではありません。ですが、「将来の宮古ために宮古研究をしたい、そして少しでも残していきたい、気づいた私たちがやるべきことだと思う」という声に答えてくださいました。もちろん、実務的な難しいお話もありましたが、本当にありがたかったです。真摯な気持ちだけしか担保がないような弱小の団体なのですから。


エールのような言葉をいただいて、私たちは帰途につきました。三人で話しました。「県の規定から大きく外れているかもしれない。ほとんどダメだろう。でもできる限り頑張ったのだから手伝ってくれたみんなにお礼を言おう」というような感じで、祝杯をあげました。もちろん、勝手に、です。この補助が決まらないことを前提でした。

私たちの予想を裏切って、ATALASネットワークは選出されました。

そして、決定してからも、たくさんの人たちに支えられています。文化振興会の担当の方々もこのヨチヨチの団体を親身にサポートしてくださいます。子どもが三人いる私を公私ともに支えてくれる友人たちには、お礼を言っても足りません。遠くに住む友人たちも私の心の支えや相談相手になってくれます。もちろん、娘たちも私をサポートしてくれ、この一年での成長は目をみはるばかりです。また、多忙で活躍中の人たちがスケジュールを空けてくれます。そして、その輪が公私まぜこぜになりながらどんどん広がっています。

頭に浮かぶだけでも3桁の人にはお世話になっている気がします。宮古の人たち、宮古出身者でなくても宮古に心を寄せてくれる人たちの力添えがなくては、ここまで来れませんでした。そして、これからも進まなければいけません。そのスピードに、私自身が一番ついていけていません・・・。


とりあえず、走りながら考える。
今できることはそれくらいというか、それ以外はできないでしょう。中心である私があまりに不器用すぎてご迷惑をかけながらですが、遅々としてですが進みたいと思います。卯作先生や仲宗根先生のような、そして支えてくれる人たちのような謙虚な気持ちで頑張っていきたいと心から思っています。

そして、最近、この引力のようなものがまさしく「宮古の力、島の力」だと思うようになりました。

伸びしろいっぱいで、カツカツですが、正しい時間、正しい場所で、ちゃんとみんな手を差し伸べてくれる。そして、きちんと次につながっていっている。実はスタッフのみんなも手伝ってくれる誰もが適材適所です。優秀なひとたち、真心のある人たちが私のまわりを囲んでいる気がしてたまりません。宮古を訪れると、うれしい偶然が必ず用意されています。


故郷の宮古島と現在住んでいる東京が、日々つながっていきます。最初は私個人という細いつながりだったものが、少しずつ寄り集まって強い縄のようになっていきます。ひとつも無駄な出会いはなく、大変なことがあっても新しい気づきが用意されています。私にとっては、生きる喜びや学びそのものです。

今日は珍しくまとめてみました。これもきっかけがあります。


日々、追いまくられている私に、宮古の友人Iが先日、電話で素敵なアドバイスをしてくれました。
「今のこと、書いておくといいと思う」

そうだね、そうだよね、と素直に思ったのでした。走りながらだけど、時折こうして考えて止まるのは必要なことです。私にはない発想です。

そして、彼女をはじめとしたそのいろんな発想を私に伝えてくれる、私の周りの人々に感謝しています。なんと豊かな人生を生きているのだろうと思います。ありがたくて涙腺がゆるみます。日に三回は滂沱の涙です。


今日は、久しぶりというのもあってか、長々となりました。最後まで読んでくれてありがとうございました。


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Posted by 宮国優子 at 13:40│Comments(1)宮古現今
この記事へのコメント
応援しています(^_^)/
Posted by 宏美 at 2015年02月01日 21:58
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