2017年08月13日

「どこに住めばミヤコ?」というテストがあった。そして鯖から客家。

「どこに住めばミヤコ?」というテストがあった。そして鯖から客家。


https://www.arealme.com/country/ja/


私はフランスだった、笑。
意外とヨーロッパ向いているかも。
いや、英語もやばいのに、フランス語覚えるのは至難の業な気がする。
50くらいからのらりくらり勉強したい気もする。

こういうもののIQテストとかありますが、アホらしくて適当にやると白痴レベル・・・。
まぁ、いいいんですけどね。

さて、昨夜は、全日本サバ連合会の小林くんと話しました。
彼は会津出身で、偶然知り合いになったてから5年くらいだろうか。失礼ながら弟のような感じすらする。顔が濃い、笑。

なんだか同じ匂いを感じます。会津や上越は何か宮古と近しいよなー、とか。
理由は、長くなるからいつかどこかで。

彼、小林くんはとってもエッジーなひとで、ミュージシャンでもあり、デザイナーであり、鯖人間でもある。
サバ連のホームページはとてもかっこいい。

http://all38.com/

「どこに住めばミヤコ?」というテストがあった。そして鯖から客家。

数年前に台湾サバ祭りの話を、現在与那国にいる沖縄文化研究所の小池くんが教えてくれた。
1810年代に日本が作った港があり、サバの漁獲高が台湾の95%占める港。その名も蘇澳(すおう)。
なんかできればいいねーと言っているうちに、今年になってこんなニュースが飛び込んだ。

銚子電鉄(銚子市)は台湾北東部を走る鉄道「蘇澳(すおう)線」と姉妹提携
http://www.sankei.com/world/news/170402/wor1704020008-n1.html

雰囲気はこのブログがなかなか良く表してるなぁと思います。
https://ameblo.jp/taiwan-kannkou/entry-12180549696.html

前置きが長くなったのですが、そこは鯖人間の小林くんはちゃちゃちゃっと動いてくれている。
私も少しお手伝いをしている。

小林くんのお手伝いをする理由は、私も祖父母が暮らした台湾が興味深いからだ。
父と母のお見合いはその台湾でのご縁だったらしい。

琉球弧、とはいうが、ネフスキーも台湾まで足を伸ばしたくらい、琉球弧と台湾はいとこ同士みたいな、不思議な仲だと思う。

私自身、客家?とか言われます。どうも顔が似てるらしい。
ググったら、面白かったです。

「どこに住めばミヤコ?」というテストがあった。そして鯖から客家。



wikiでは
「客家を含む華僑はユダヤ人・アルメニア人・印僑と共に四大移民集団の一つと言われる。」そうで、東洋のユダヤ人と言われるらしい。
宮古のユダヤ人説もあるので、かなり近しいのではないかとにらんでいる(勝手に)。

このサイトに出てくる「客家(中国ユダヤ人)18の教え」ってのが、なんといえばいいのか、すごく宮古。
http://z-shibuya.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-fc57.html


客家について調べているうちに、いろいろ思い出しました。

昔から沖縄にはまるっきり違う2つの性格ともうひとつ似ているけど違うタイプの人がいるなぁとおもっていました。


るっきり違う2つの性格とは、福建人と海南人で、その間にあるのが広東人なのではないかと・・・。

宮古は福建人よりの広東人的。

まぁ、いまさら、この時代にもう何人でもいいんだけど、かなり腑に落ちました。
あまりに驚きなので、コピペしておきます。




○広東人
 商才と奸智に長け、進取の精神に富み、海外志向も強いという特徴がうかがわれる。
昔、南越の地としての広東は、一時の繁栄を終えた後、瘴気を発する悪疫の地として流刑地扱いされた時代もあった。また、異民族に追われ南下に南下を重ねた客家(ハッカ)人が逃げ込んだのが広東であった。
かつて客家人は、中華の天子にそむいた重大な反逆児の集団と考えられていた。
 
 性格としては、すでに述べたように、忍耐強く思索型の人が多い。また、先見性に優れ、冷静な判断力によって行動し慎重で口も重い。進取の気質に富むだけに他人の支配を嫌い、猪疑心が強い。直言されたり欠点を指摘されたりすることを極端に嫌う。長い間、中華中原の仲間人りをさせてもらえなかった土地柄でもある。固定的な発想や権威にとらわれず、自由な感覚が身についている
 広東人の特性について、中国では以下の定評がある。
 志向‥経済(金銭)、性格‥粗野、教育・・軽視、仲間意識‥やや強い、食事‥贅沢、服装‥派手、
異性との交際‥積極的。
 広東人の食に対するあくなき探求は、何事にも究極を追い求める彼ら独特の美学、美意識によるもの、いっぽうで昔、流刑地あるいは戦乱をくり返した地である広東では、天災人災による社会の荒廃が大飢饉をもたらし、人びとは何でも口に入れねばならなかったのだ、という説がある。
 「食い倒れ」の評判が高い広東では、中国でもっとも所得水準が高いこともあって、生活必需品以外の飲食費や遊興費への支出も多い。また、香港のマスコミからの影響も大きく、香港で流行している商品を買い漁る傾向が強いという。

○福建人
独立心、商才、進取の気象に富み、生活力が旺盛。
 また、まじめでおおらかな性格が、この代表的なタイブからうかがわれる。
 福建省は、周知のように外国貿易が盛んで、人びとは頻繁に海外に進出して活路している。長年にわたる他民族、他国民からの圧迫、移動、流浪、困苦から生まれた特性も見られる。海洋性気候なので不規則かつ急変が起こる。台風や洪水に見舞われ、彼らの生活や環境は全面的かつ徹底的に破壊し尽くされてしまうことも多い。福建人は、戦闘性、激情性とともに、忍従性、強靭性、生命・財産への執着性といったものが強いように思われる。強籾な精神力、強い競争心、飲み込みが早く機敏である。
 福建の人について、中国流の表現を用いれば「勤勉だが保守的でなく、勇敢だが軽率でない」ということになる。黄土高原に生活を営む農民よりも、福建の農民や漁民たちは開拓精神が旺盛で、故郷を離れることに苦痛を感じず、父母に別れを告げることを不孝とは見なさず、精力的に海を渡って新天地を求める。現在、世界各地のチャイナ・タウンで活躍する福建人の姿が目につく。進取の気象と創業精神は、優れた余銭感覚と堅実な経常才覚に裏づけられてはじめて成功をもたらすのである。
 日本の九州、四国、中国地方に住む人びとの姓のなかに、清川、澎城、河間などがかなり見受けられるが、これらは中国からの帰化人を先祖とする人たちのなかの、福建を故郷や発祥地としていることを表わしている。同時に、九州・沖縄など目本の南部に住む人びとは福住人と類縁が近いというだけでなく、風俗習慣についてもまったくといってよいほど同じものを残している。このようなことから、昔、中国の福建は日本の南部との交流、結びつきが緊密であったと想像される。


○海南人は
 かつて海賊がひんぱんに出没したところだから、多大な被害を受けたという歴史をもつ。一見すると柔軟なようだが、その裏には強い警戒心があり、見かけより付き合いはむずかしい。しかし、山間部の人々は朴訥で人情味もあり性格も丸い。
 
 情緒に流されず、冷静で合理的な判断を下すことができる。楽観的で欲がなく、現状に甘んじて冒険をしない。
 海南の男も女もやさしいという点は、沖縄県人と同じだ。地理的、歴史的特性によって南国のイメージが強いにもかかわらず、海南人は非常におとなしく引っ込み思案である。海南人のやさしさは、しばしば素朴、純朴、あるいは人情味が深いなごと形容されるが、逆の意味で愚直と表現されることもある
 大陸の人間には、ルーズで消極的なイメージが広がり、いい加減さを指して「馬々虎々、慢々来」という言葉が生まれた。



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Posted by 宮国優子 at 14:31│Comments(0)営業日報
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