2019年01月20日

宮古馬と島的感覚という背景(超個人的)0120

宮古馬と島的感覚という背景(超個人的)0120
昨日、行き当たりばったりで、久しぶりに高円寺に行きました、四丁目カフェが少しBAR的になっていたよー。

毎日続けることの難しさを感じています。
宮国です。

FBにもあげましたが、宮古馬に関することが少しずつ整備されていきます。
実は、担当の編集さんと私の長年の友人が友だちだったこともあって、宮古馬の問題について、直接聞きたくて、ニュースが出たところからやり取りしていました。

最新記事です。方向性は建設的な方向に向かっています。
https://hbol.jp/183803?fbclid=IwAR3j4BFxCQUI7T3dTNOXQJMSM6Z5RYAIl3fOX79K4B6FGii8h22tKmQwwtw


今回は、この担当編集さんとの背景などを書きたいと思います。そして、なぜ宮古馬のことがこうも心に響いたのか、です。

偶然なのですが、その担当編集さんと私は、20代の頃、何度か飲み屋で顔をあわせていたようです。

今の住まいである大岡山に引っ越すまでの1993年あたりから2003年までの10年間、私は高円寺に住んでいて、その時友だちを通じて飲み屋で顔を合わせていたみたいです。

私は、基本的に今も一人で飲み屋に行けるほどの豪胆さはなく、その友人らといっしょにいくくらいしかなかったので、多分、友人の記憶が一番正確だと思います。

あれから25年過ぎますが、ただのアホな若者だったわたしたちは、一応、社会人となったり、親になったりとみんなそれぞれの道を歩いてきたんだな、と感慨深いです。あの頃の友人たちは、ほとんど高円寺には住んでいませんが、何かあったときはこうして助け舟を出してくれたり、信頼関係に基づいたやり取りが生まれます。今回は、すばやくその担当編集さんとつないでくれたのもその時の友人です。

島育ちの私が、あまり変えられないと思うことがこうした人付き合いに関しては多々あります。今では東京の方が長いのに、です。

分母が多い東京では、人間関係の特徴的なこじらせ方があるように思います。all or nothing的な人間関係といえばいいでしょうか。人を役割で人間関係を結ぶような感じ。私は島的に育っているので、頭ではわかっていても、なにか割り切れなさを感じます。友だちは並列で友だちのような感じでつきあっていると、前提条件がちがうのできついやり取りやこじらせたりします。

島では、自分から人を切ったり、疎遠にしたり、責め立てて断絶する発言をすることは、難しいです。トータルで見ると私もこのやり方は身に染み付いているように思います。

一度もめたりして、疎遠だったとしても訪ねてきたら「お互い忙しかったね、最近はどう?」というスタートで始めたいと思います。ですが、その時に、もめた原因を振り返って、言うことはきっちりと言うので、人によっては水に流せない性格ととられます。

なぜ、振り返るのか、なのですが、私とその人の間では時間が止まってしまっているからです。だから、わだかまりを知らんふりして抱えることが難しいのです。お互い冷静になって、話しあうことで、また再スタートがきれます。お互いに相手にしていた甘えを再確認することは悪いことではありません。

私は、こういう時、わたしの島的感覚が日本では受け入れてもらえないような気がします。寂しいことですが、ただの違いでもあるので、今は深刻に考えないようにしています。でも、このようなやり方がわたし自身も相手を疲弊させたり、私もさらに傷ついたりとすることが多いこともあるからです。

相手が嫌だと言っているのに、それでも傷つける人は、傷ついていることが多く、それをうやむやにして前に進むのは難しいと感じています。対面の表現は、ある意味、二義的で、主観と客観を同時に持つことが難しいですしね。

これは、二人でも、組織でも、国家でも同じで、傷つけられていると感じることが他者を傷つけても良いという免罪符になる人もいるということなのでしょう。そこには争いしかないのに。

わたしにとって、今の時点では、もやもやした感情のカオスをできるだけ言語化して書き、先に進むことがまるで写経のように心を落ち着ける方法です。そこからやっと心を置き去りにせず、建設的に考えることができます。

最近良く思うのですが、人間は人として成長なんて、実はあんまりしないのかも知れません。社会で生きていけるように成長を目標にしてしまうと、何かを置き去りにしてしまうことが多いのかもと思っています。寂しさや悲しさが充満している人生は、腫れ物のようになって、かさぶたすらもうまく生成できない。

思春期がずっと続くような感じでしょうか。でも、実際はその傷が深ければ、やっぱりそれなりの手当は必要なのだと思います。私見ですが、私は宮古島に素直にスピリチュアル方向で向かう女性たちがもつ「生きづらさ」は、その促成栽培のような社会にノーと言っている気がするのです。でも、それはカナリアのような女性たちだけでなく、男性も同じように「生きづらさ」を抱えるようになるという道筋があるのではないでしょうか?

島は、子どものようでも、受け入れてくれる自然があったり、出会いがあったりします。いだかれる経験をして、また人は元気に帰っていくのかもしれません。それが味わえるエアポケットのような、石灰岩でできた濾過的な島は、そういう運命であの場所に鎮座して、アニミズムが発達するのかも。

さて、話が遠くなりましたが、今回の宮古馬の件は、自分自身の島と本土の違いも浮き彫りにしたので、とても心に響く経験でした。

話を戻すと、島に住んでいる当時、私にとって宮古馬の話は、植物園にいる絶滅種という意味合いでしかなかったと思います。とても悲しい思いで見ていました。島の痕跡がこうやって消えていき、それは淘汰であるんだろうな、ということが子ども心にもすくいとれる島の心情だったからです。

島の心情、と書いてしまうと、島が擬人化しますが、私にはそのように思えることが多いです。

宮古馬に関する背景は、このサイトの記者さんがすごく良くまとめているので、シェアします。

https://umas.club/st1002


このサイトではこう書いてあります。

::::::::::抜粋:::::::::::::

宮古馬の保護に奔走している人が宮古馬にばかり目が行くのは当然だとは思いますが、そうでない人が「宮古馬」以外になぜ目を向けないのか。

種の保存の観点から特定の種を重点的に護ることはあります。

しかし他の家畜の扱いが軽んじられていいわけではありません。

::::::::::抜粋終わり:::::::::::::

「そうでない人が「宮古馬」以外になぜ目を向けないのか」と書いてあります。

ずばり言ってしまえば「余裕がないから」だと思います。上記に書いた成長という言葉と、私にはどこか相似形のようにも思えるのです。

明日はこのことについてまた書きたいと思います。



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