2009年12月31日

年末つらつら

年末つらつら
昨日、友人と話していて、はたと思った。

人は子どもの時、体験したことはいつまでも体や頭に残るんだ…と。

その場所に、その時代に産まれる意味はあるなぁ、と。
そして、幼児期の思い出や感じた事は、大人になっても考え方の枠組みに影響している。
ふと思い出したのが私の行っていた幼稚園のこと。

島で唯一のカソリックで、かなり本格的だった。ばりばりのモンテッソーリ教育なのですが。

数年前、ひょんなことで、その幼稚園が出来た理由を聞いた。
表に出てない話らしく、私も初めて聞いた話だった。

終戦後にニューヨークの消防士さんたちが中心になって資金援助して設立したらしい。
敗戦して教育施設もない沖縄のこどもたちのために勝戦国アメリカの一般市民が
できることをした、ということらしい。ありがたいことだと思う。

あの島にシスターや牧師さんが市場で買い物したり、普通に生活していた。
先生好きだった私は、自ら彼らのまわりでお手伝いをしたり、本を読んだりして過ごした。
親もシスターたちも私が入り浸ることをよしとしてくれたので、かなりの時間をすごしたんだと思う。
そこからかいま見れる非常に質素な生活に私はずっと心魅かれていた。それは今も変わらない。

その頃、ニューヨークの消防士さんたちは、アイルランド系の人が多かったらしい。
その幼稚園でそんなアイルランドの音楽が流れるわけではないけれど、
私はいつの頃からかアイルランド音楽が宮古にぴったりと勝手に思っていた。
単なる偶然なのですが。
でも、それが直接、アイルランドの幼児教育で一般的なモンテッソーリとつながるとは思っても見なかった。

これも「縁」だなぁと思うことがあるのですが。
子どもが出来て環境を変えたくて、引っ越した先から歩くと5〜6分の所に
日本のモンテッソーリの本部の幼稚園があった。

子どもを通わせようかと、何度か見学をさせていただいて驚いた。
本部ということもあって、すべてが昔のやり方だという。
私が宮古で受けていたあのモンテッソーリとまったく同じだった。
カリキュラムもすべてが自由で、管理というものが一切無かった。
あるとすれば、お祈りをする時だけだった。自分のために祈るのではない、ということも教えていただいた。
優しく楽しく学ばせてもらったと思う。

結局、子どものための幼稚園はあまりのハードルの高さにあきらめてしまったのだけど、
今の自分と子どもに合う保育園が見つかった。娘には非常に良い選択ができた。
私自身、そこであったママ友も一生の友人になると思うほどの出会いもあった。

時間をかけて、都内でモンテッソーリと看板を掲げた幼稚園もたくさん見たけれど
カリキュラムが新しすぎたり、受験に特化したり、私が知っているものとは全く違う印象があった。

あんな小さな島に、幼児教育の基本形があったのだなぁ、と思う。
戦後の日本とアメリカがちゃんぷるーして、親たちのアイデンティティがぶれながらも
ただ子どもたちのために最善を考え、高い教育費をだしてくれた親には素直に感謝だ。
家に帰れば、おもいきり土着な宮古の躾がまっているわけですが…。
あのミックス具合も私にとっては良かったのではないかと思う。

あの小さな宮古島で「子どもたちに良い教育を」という一点において、
与える側も受け取る側の人間としての善意が気持ちよく行き交った。
そして、その恩恵を十分にあずかった私たちは、その心に報いなければならないと思う。

戦争は本当に馬鹿らしいけれども、だからこそ私たちは今までの宮古になかった
新しい風のような献身的で自立的な教育を受けさせてもらったのだとも思う。
私の考え方のベースには非常にカソリック的な部分があるのかもしれない。

今は、アメリカに負けるなとか、国際競争力とか、いろいろな論評が日本にはあるけれど、
それはいったん横においといてもいいような気がする。
数十年後には国家間の小競り合いはあれど、人種や宗教の壁をこえて
それぞれ個人の幸せのかたちが花開くようになるのではないかと思う。

貨幣価値だけでは無い世の中になれば、それはもっと加速すると思う。
それは「イケイケどんどん」の世の中からは文明の後退に見えるかもしれないけど。
自給自足できない世の中自体が少しおかしいのかもしれない。みんな、それには気付きつつあると思う。

今の世の中、「優しい」と言う言葉を使うとき、弱さを内包したように聞こえるのかもしれない。
でも、本当の優しさは女性的な「感謝の心をもって相手のどんな事情も受入れる」ということであり
「誰かを守るために自分を盾にする」男性的な強さも必要なのだと思う。

そして、どの国の人にとっても「幸せ」は同じようなものではないかと思う。
その人がその人らしく生きること。
そこには苦悩もあるかもしれないけど、
それでも自分が納得した「自分らしさ」を獲得する事の方が心の実りが大きい。

自分が幸せなら、家族にも幸せになてもらいたいし、友達にもそうだし
日本の人、世界の人にも幸せになってもらいたいと思うのが自然なのだと思う。
そこには優しさというものが不可欠なんじゃないかと思うのだ。
そしてそれは誰から言われるものではなく、自分から出てくるものなんだと思う。

戦争はやっぱり最大の悪だとは思うけど、それを反省して、次の世代のために尽力した人達もいるという事実。
そこに、人間の愚かさも価値もある、と思う。
まだまだ捨てたもんじゃない、と思う。

おせちを作りながら書いたら、もわもわと書きまくってしまいました。
今年の一年は、私にとって、そんな一年だったんだなぁ、と思ったりして。
おせち出来上がりません(汗

今年も残り数時間。良いお年を!



同じカテゴリー(日常閑話)の記事
宮古馬の話は続く0113
宮古馬の話は続く0113(2019-01-13 12:14)


Posted by 宮国優子 at 17:20│Comments(2)日常閑話
この記事へのコメント
今晩は(^^)
とても興味深い内容ですね。
初詣から帰ってからゆっくり読みますね。

良いお年をお迎えください♪
Posted by スーさん at 2009年12月31日 23:06
すごい長いですね、読み返してみると。
自分で書いてて怖いです。狂ってるわー。
どおりで次の日寝まくったわけですね。

いつもありがとうございます。
Posted by 宮国優子宮国優子 at 2010年01月05日 14:12
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。