2017年01月19日
市長の任期は4年でいいのか問題
「市長の任期は4年でいいのか問題」って勝手に書いてみました。
法律があるので、変わるわけもないけど、私は4年ではなく、せめて6年くらいあってもいいと思う。
2期12年あったほうがいいように思うのだ。で、2期で終了。
もしくはおもいきって3年で4期で終了。
干支が一回りでいいではないか。
6年は、何故かというと、じっくり取り込めないから。
離島の問題は根底から時間がかかることが多く、外からの流入も激しいが、島内に住んでいる人は島で生まれて島で死んでいくという人も多い。
その感覚の差はどうしても4年では埋まらない、ように思う。
すりあわせは何においても時間がかかる。島の人が慣れていくようにもう少しゆっくりでいいじゃないか、と思う。何も国や県にあわせなくてもいい。
もしくは、3年。それなら、スピードを持って、ずっと決断を続けることができる。
祭りというか選挙はイベント状態にしている方が心の負担が軽い。
市の職員も、政治と仕事は違うと切り分けられて、粛々と仕事ができる。
公僕なのですから、平等性に目を光らせる必要がある。宮古で、市役所の悪口を聞くときは、経済格差もあるけれど、既得権益についてだからだ。権力をふりかざす職員がいる一方で、一生懸命に働いている職員はかわいそうだな、と思うことがある。
どっちにしても島の政治が落ち着かないのは、不利益の方が大きい。まぁ、そもそも、4年って決まってるんだから、私がここで何を言っても意味がないけれど、島のスピードを他から圧力で変えるのは何か大きく間違っている。
そして、この話のベースに経済的なものがいつも頭をもたげる。
何度も聞いたことがあるのだが、オフレコに近いのか、はたまた冗談かわからないけれど、官公庁のひとがよくいう「制度をうまく使ってください」。これは沖縄にお金を落とす用意はあるよ、ということだと思う。
実際、かなり落ちています。ですが、他の地方より飛び抜けてはない。
このあたりは、沖縄自立の経済学 屋嘉宗彦 著
で、詳しく述べられている箇所が多い。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2016052902000191.html
私には難しいところも多いのですが、時間をかけて何度も読んでみたい本です。
選挙が終わったら、どうぞ読んでほしい。離島の人にも、また、離島に関わる人にも読み応えがあるはずです。
話はかわりますが、前仲井真知事は、今や人気はありませんが、観光業にはかなりの貢献をしていると思う。それは、自他ともに認めるところじゃないかと思う。観光業がこれだけ発展するのはいいことだけではなく、その功罪でもあるだろうと思われる問題にも取り組んできていた。
功罪という意味では、今の沖縄は、パイの奪い合いだ。小規模の飲食店や企業はどこも苦しそうだ。大きい企業がすべて悪いと言っているのではない。県民が幸せじゃないから、若年、中年、特に男性の自殺が半端ないのだ。人間は環境によって、弱くも強くもなる。お金がないことは孤独なことにたやすくつながる。世の中はお金がある方が幸せだ、自由だ、というメッセージを絶え間なく送っているからだ。現代の沖縄において、足るを知るのは難しい。
軍用地跡に関しても、沖縄だけですべてを解決できるわけではなく、日本政府からの援助は絶対不可欠だと思う。今の県政でどれだけ進むんだろうと時折不安になる。
中国と翁長さんの関係を週刊誌はゴシップでいろいろ書いてるが、おかしいのは日本政府にもの申すことは中国に肩入れしているということになるらしい。そういう意味では、翁長さんは不憫と感じる。
ですが、翁長さんの記事を見ると、沖縄本島と離島の感覚の違いは大きいと思うことが多い。翁長さんのパフォーマンスは私には沖縄本島が考える離島という遠い話に聞こえるのだ。沖縄経済界の今の様相もなんだかすべて複雑にいっしょくたに見える。
何度か「宮国さん、オール沖縄だよ、宮古もそうしないと」と言われますが、いや、やっぱり私には違うとしか言えない。その一色さ加減は、何か心底、警報が鳴るんですよ。どんな良い意見でも押し付けられたらファシズムに感じる。
多額の交付金、軍用地に落ちる金、軍事施設の存在で落ちる金が公務員や一部企業だけで止まっていることを県民は知っている。そして、宮古なんてその最たるものでしょう。だから、何かモヤモヤするし、沖縄本島と同じ意見ではいけないと思うのではないでしょうか。お金で解決できないことって確実にある。
だからこそ、辺野古と自衛隊問題は同じ線上に並べて語ることではないと思う。理由はいろいろあれど、それはやっぱり宮古と沖縄本島が違うということでしかない。離島は、国策に対しては基本的には選べないと思う。選べてきた試しがあっただろうか。
些末なことをいえば、電気代とか市民税とか意外と高いんだよね、宮古島。市民の生活って考えてくれてるのかな・・・・と思う人が増えて、何をしていいか、誰を支持していいか、みんなよくわからなくなる。ネトウヨみたいな人もふえてくるわけで。
移住してくる人や観光客の一万円と、宮古の人の一万円の重みは違う。桁がちがうと思える時がある。経済格差は島内の方がシビアだ。
あ、選挙の話題に戻ります。
宮古の良さは個人がはっきりと誰を応援しているか主張できることだったはずなのに。
実家で、めったに喧嘩をしない父親と母親が支持政党の話で、静かに言い合いらしきものをしていたことがある。他のひとたちも入って、大人が熱く語っていた。特別、学があるわけでもない一般市民が議論していた。
子どもの私は、それが普通だったし、自分の意見を持てるように、はやく大人になりたいと思った。宮古の大人はあきらめていなかった。かっこよかった。
政治は遠いものではない。社会は自分たちで作るものだ。そう思っていたに違いない。トライアンドエラーでもいいのだ。罵詈雑言、ヘイトスピーチ、無駄なビラ、そのときもあったかもしれないけれど、それよりも、生き生きと語る大人たちの方が強く印象に残った。
究極、誰が市長になってもいいと思うのです。決まったからには、みんなで応援すればいい。
既得権益者は抱え込まないで、すべて手の内をさらせばいい。次の市長は完全オープンにして、スカイプを市長室設置すればいいんじゃないでしょうか。議会はちゃんと見れるんだから。
既得権益者でないと感じる人は、恨みの連鎖を断ち切って、正当な権利の主張を既得権益者にすべきだ。
そこには、士族とか平民とか、いまだ人頭税の余波があると思う。
まさか今の時代に、と笑えるかもしれないけど、島はまだ実際はそうなんだと思う。
女性議員がいない理由はそこにあるのです。平塚らいてうレベルの部分はある。
沖縄本島の人は、その爪痕を感じないわけはないと思う。私は、あえて、沖縄本島という言葉を使う。なぜか。それは気付いてほしいから。沖縄本島としか教えてもらっていない私たちのような世代がごまんといる。
それは、沖縄島と呼ぶことで、アカデミックな理解をするつもりはないということです。当たり前のように、私は沖縄本島と呼びたい。そして、相変わらず、離島から東京から内部の問題を話していきたい。それで、少しは解決できるかもしれないから。
Posted by 宮国優子 at 21:29│Comments(0)
│宮古現今
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